Tonight 今夜の気分
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2009年04月22日(水) いまさら六カ国協議に何の意味があるのか



「 ペン は 剣 よりも強し 」

          エドワード・ジョージ・ブルワー・リットン ( イギリスの作家 )

The pen is mightier than the sword.

                     Edward George Bulwer−Lytton



どうすれば、日本刀 で武装した敵を、ボールペン 1本 で倒せるか。

隙をみて背後に回り、首筋に ( 渾身の力で ) ペン を叩き込むしかない。


そうした格闘談義ではなくて、ここでいう 「 ペン 」 と 「 剣 」 は、それぞれが “ 文 ” と “ 武 ” の象徴として用いられていると考えるべきだろう。

さらに発展させ、「 ペン → 文 → 言論 」、「 剣 → 武 → 武力 」 と解釈することで、より一層、作者の意図に近づくことができるはずだ。

これは、修辞学でいう 「 換喩 」 で、具体的な物を挙げながら、それ自体を指さず、そこから導かれる象徴的な概念に結びつける表現方法である。

すなわち、「 ペン は 剣 よりも強し 」 は、「 言論 は 武力 よりも強力だ 」 という意味に捉えるのが、少なくとも学問上は、正解ということになる。

ご子息に 「 なぜ ペン は 剣 より強いの? 」 と尋ねられたら、そう答えるとよろしいが、私なら、「 ペン で急所を一撃 」 の秘策も伝授するだろう。


言論が武力より強力であることは、多くの人々にとって理想であり、願望であるが、残念ながら、いつもそうであるとは、かぎらないようだ。

平和を愛し、良識を唱える人が、理不尽な暴力の犠牲になったり、武力に屈することも珍しくないわけで、それは、誰もが認める実態だろう。

毎回、日記の冒頭で 「 名言 」 や 「 ことわざ 」 を紹介しているが、出典が定かなら 「 名言 」、原作者の不明なものは 「 ことわざ 」 に区別している。

今回の 「 ペン は 剣 より強し 」 は、リットン の戯曲 『 リシリュー 』 に登場する世界的に知られた名句だが、その出典まで知る人は少ない。

原典では、この名句の前に 「 きわめて偉大な人物の支配下では 」 とする “ 但し書き ” が添えられていることを、ほとんどの人は知らないでいる。


相変わらず、北朝鮮による横暴な 「 瀬戸際外交 」 が続いており、核開発は継続する、拉致被害者は返さないといった状況が、一向に改善しない。

あくまでも、話し合いによる解決が重要だという人たちは、言論は武力より強力だと信じて疑わない タイプ か、何かの “ 思惑 ” を秘めた人々だろう。

交渉の相手が 「 きわめて偉大な人物 」 ならば、たしかに、言論が武力を圧倒するかもしれないが、到底、そのようには考え難いはずだ。

気長に 『 六カ国協議 』 を繰り返しても、まるで糸口は見えず、北朝鮮が 「 ペン 」 を恐れ、「 剣 」 を鞘に納める気配など感じられない。

それよりも、各国の軍や諜報組織が 「 暗殺部隊 」 を投入し、金 正日 に、身の危険を悟らせるほうが、妥協案を引き出しやすいのではないか。


ことあるごとに 「 武力では何も解決しない 」 と語る御仁もいるが、あくまで理想論にすぎず、それを証明する根拠は、どこにも示されないままだ。

もし、「 武力だけで、すべての問題が解決するわけではない 」 という意見であれば否定しないが、常に、まったく効果が無いとも言い切れない。

北朝鮮に対して 「 ペン ( 言論 ) 」 で交渉する試みが失敗したことは、既に周知の事実であり、ならば、別の解決方法を検討する必要がある。

ましてや、こちらから頭を下げて、成果の期待できない 『 六カ国協議 』 に参加させるなど、時間の無駄遣いにすぎないではないか。

本気で、「 ペン は 剣 よりも強し 」 と確信しているならまだしも、気休めに、そう唱えているだけでは、単なる 「 無関心 」 と何も変わらない。






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