「 最後には、我々は敵の言葉など思い出すことはない。
思い出すのは友人の沈黙である 」
キング牧師 ( アメリカ人公民権運動の指導者 )
In the end, we will remember not the words of our enemies, but the silence of our friends.
Martin Luther King, Jr
今年から、セ・リーグにも 「 クライマックスシリーズ 」 が創設された。
いまのところ、たいした クライマックス も無いまま、中日 が 2勝している。
TBS は、先般の ボクシング 「 亀田 VS 内藤 」 戦で、多くの視聴者から 「 亀田 サイド 寄りの中継だった 」 と、厳しい批難を浴びている。
スポーツの試合中継は 「 中立であるべき 」 との意見も理解できるが、この試合にかぎらず、中立な視点に立った実況のほうが、圧倒的に少ない。
たとえば、日本テレビ による 東京ドーム からの実況中継は、あからさまに 巨人 を応援しているし、ほとんどの関西の局は 阪神 を支持している。
広告主などの絡んだ プロ・スポーツ の世界では、それが常識で、どうしても馴染めないという方は、アマチュア の試合を眺めるしかないだろう。
そこに 「 ビジネス 」 が介在するかぎり、スポーツ特有の 「 神聖さ 」 には、エンターティメント的な要素が加わり、商業価値が問われることになる。
最近、元 巨人 の 江川 卓 氏 と、小林 繁 氏 の共演による日本酒の CM が放映され、野球の好きな中高年の間で話題になっている。
若い人はご存知ないかもしれないけれど、江川 氏 が 巨人軍 に入団をした背景には、なんとも複雑怪奇で、強引かつ老獪な、策謀が巡らされたのだ。
当時のドラフト会議の規約では、指名された選手が、指名権のあるチームと契約しなかった場合、次のドラフト会議の二日前に、指名権が失効した。
その規約に 巨人 は着目し、ドラフト会議の目玉とされていた 江川 氏 を、突然、ドラフト会議の前日に、無競争で勝手に契約したのである。
野球関係者も含め、そんな規約を知る人は少なかったので、法の抜け穴をつく手口は 「 空白の一日 」 と呼ばれ、大勢のファンが 巨人 を批難した。
他の球団は一斉に 「 そんな汚い手口が通用するか 」 と反撥し、江川 氏 の入団を認めず、巨人 はドラフト会議をボイコットし、全面対決となった。
翌日のドラフト会議では、阪神 が 江川 氏 の指名権を得て、入団交渉の権利があるのは、巨人 か、あるいは 阪神 か、全国民の関心を集めた。
両球団の弁護士による話し合いでも決着せず、議論は国会にまで及んだが、世論の大多数は 巨人 の 「 やり方 」 に批判的、懐疑的であった。
どちらの言い分が正しいかという問題以上に、たとえルールに反しなくても、「 世間の良識を踏みにじった 」 という点で、巨人 は集中砲火を浴びた。
最終的には、お互い 「 引っ込みがつかなくなった 」 両球団が話し合って、前代未聞の意外な解決方法で、この問題は決着をつけたのである。
それは、ドラフト会議の結果を尊重し、江川 氏 は 阪神 に入団して、その直後に、巨人 の用意した交換選手と 「 電撃トレード 」 を行う方法だった。
その交換選手こそが、当時、巨人軍 の エース だった 小林 繁 氏 で、彼は練習のため宮崎へ向かう空港で通知を聞き、引き返すこととなった。
大物とはいえど、プロで実績の無い新人を獲得するために、彼は犠牲者になったのだが、「 野球が好きだから、阪神に行きます 」 と気丈に語った。
翌年、小林 氏 は生涯最多の 22勝 を挙げ、特に 巨人 戦では 8勝 0敗 という驚くべき活躍を示し、投手部門の各賞を総ナメにする働きをみせた。
そんな経緯から、小林 氏 は 「 悲劇のヒーロー 」 として称えられ、江川 氏 は 「 悪役 」 の印象が定着し、それは二人が現役を引退するまで続いた。
お互いの 「 気まずさ 」 からか、二人は現役の間も、引退後も、球場で顔を合わせる機会はあったが、言葉を交わすことはなかった。
今回の CM 出演で、1978年の 「 空白の一日 」 以来、実に29年ぶりに、二人は顔を合わせ、ようやく言葉を交わしたのである。
球団の思惑に翻弄されたとはいえ、特に 江川 氏 としては、自分のせいで 小林 氏 に迷惑を掛けた遺恨が根強く、一度、謝罪をしたかったらしい。
それに対し 小林 氏 は、「 遠い昔のこと 」 と笑顔で応え、撮影後も二人は 「 旧友 」 との再会を懐かしむように、打ち解けていたという。
二人とも 50歳を越えた現在だからこそ、実現できた対談かもしれないが、この場面に 「 日本酒 」 は ベストマッチ で、CM 企画者の感性は抜群だ。
ラグビー には昔から、「 ノーサイド [ no-side ] の精神 」 というものがあり、試合終了の合図としても使われている。
試合中は敵と味方に分かれるが、終わってしまえば、どちら側も無いという概念で、お互いの健闘を称え合い、同じ競技仲間として迎え入れる。
小林 氏、江川 氏 の二人にとって、この CM は ノーサイド の合図のように思え、当時を知る中高年の多くが、そこに爽やかな感動を抱くのだろう。
いまから数十年後に、亀田、内藤 の両選手が、どんな運命を辿り、どんな再会を果たすか、または二度と出会わないか、それは誰にもわからない。
願わくば精一杯に長生きをして、二人の ノーサイド を眺めながら、過去の 「 ギクシャク した遺恨 」 の話など、若い人を相手に語れれば幸いである。
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