| 2007年10月16日(火) |
紀元会 : 宗教のマイナス面 |
「 教会とは、天国へ行ったこともない紳士が、天国へ行くはずもない
人たちに向かって、天国はこうだと吹聴するところ 」
ヘンリー・L・メンケン ( アメリカの批評家 )
A church is a place in which gentlemen who have never been to heaven brag about it to persons who will never get there.
Henry Louis Mencken
私は、「 宗教 」 というものに価値を感じず、したがって信仰心などない。
初詣も、クリスマスも、一種の 「 イベント 」 に過ぎず、信仰心は伴わない。
一億歩譲って、「 神様や天国は存在する 」 としても、神社の神主さんやら、お寺のお坊さんや、教会の神父さんは、そこへ行ったわけではないだろう。
つまり、科学的根拠の無い話を、自分で体験したこともない人から聞いて、それを信じろという 「 宗教 」 の仕組みに、同意する理由がわからない。
ましてや、オウム真理教をはじめとする 「 得体の知れぬ新興宗教 」 だけでなく、ほぼすべての宗教が、活動に際して 「 お金 」 を要求する。
一般人が、ただの水道水を 「 この水を飲めば元気になるよ 」 などと言って千円で販売すれば、詐欺や、薬事法違反などの罪に問われる。
ところが、「 私が経を唱えると、死者が天国に行けます 」 という珍妙な理屈で3万円の布施を取っても、お坊さんが逮捕されることはない。
そんな私でも、父親が亡くなったときには、さすがに、葬式をしないわけにもいかないので、兄と相談して段取りを整え、お坊さんに来てもらった。
本来なら、「 家族で勝手に見送ればいい 」 とも思うが、大勢の人が弔問に来るし、その中には、信心深い人もいるはずだ。
だから、自分には信仰心など微塵も無いけれど、敬愛する父親と、弔問客への 「 感謝の印 」 として、彼らのために葬儀を行った次第である。
さしずめ、結婚式の披露宴にプロの司会者を招くのと同じ感覚で、お葬式という セレモニー の 「 MC 」 として、お坊さんに 「 ギャラ 」 を支払った。
それが 「 出演料 」 だと思えば、お金を支払うことも納得できるが、亡父を 「 天国へ送る費用 」 などと理解するのは、とてもじゃないが不可能である。
こういう意見を他人に漏らすと、「 なんと “ バチ当たり ”な! 」 などと揶揄されることが多いけれど、この 「 バチが当たる 」 も意味がわからない。
子供の頃、たとえば、ご飯粒を残したら 「 バチが当たって、目が潰れる 」 などと叱られた経験のある方も、多いのではないだろうか。
我が家では幸いにして、両親が 「 お米を収穫するのには、農業に従事する人の大変な苦労がある 」 ことを説明してくれたので、素直に納得できた。
しかし、親戚の中には 「 バチが当たる 」、「 目が潰れる 」 と叱る人もいて、私は 「 誰が、バチを当てたり、目を潰すのか 」 と尋ねた記憶がある。
すると彼らは 「 神様 」 と答えたので、私は 「 そうか、神様というのは、ご飯粒を残した程度のことで、子供の目を潰す残虐な者か 」 と思ったのだ。
実際は、「 神様に目を潰された知人 」 もいないし、現在まで幸福な人生を歩んでこれたと思うので、神様の悪口を言うつもりなど毛頭ない。
むしろ、現実的な事例を挙げ、正しく子供を教育できない人々から、「 子供の目を潰す悪魔 」 扱いされ、躾に悪用されていることを気の毒に思う。
つまり、私が嫌いなのは、神様、仏様、イエス様ではなく、それを躾の材料にしたり、商売の道具にしている 「 不埒な人間 」 のほうである。
だから、達観した宗教家を立派だと思うことはあっても、その宗教を信じることはないし、当然、資力や労力を注ぎ込むことなどない。
ところが、世の中には信仰心の深い人がいて、かなり無謀な要求をされても、信じる教祖のためならば、何でもやってのける御仁がいるようだ。
長野県のすし店経営女性 ( 63 ) が宗教法人 「 紀元会 」 の信者に集団で暴行され、死亡した疑いで、長野県警は本部などの家宅捜索を開始した。
死亡当日、夫ら家族4人が犯行を認め、逮捕されたが、その後の捜査で、多数の信者による暴行があったとされ、さらに信者21名が逮捕された。
この宗教には、「 家族全員が入信しなければならない 」 という規約があるらしいが、家族が暴行され、殺されても、誰も止めなかったようである。
家族といえども、その価値観は同じでなく、誰かが特定の宗教を盲信するように 「 マインドコントロール 」 されても、普通は、他の家族が矯正させる。
殺害された理由は不明だけれど、洗脳度の浅かった被害者が、何らかの抵抗を示した際に、盲信する他者から殺害された可能性が高いと思う。
科学的に解決できない問題や、どうしようもない問題に直面した際に、人は 「 溺れる者は藁をも掴む 」 という現象に陥ることが多い。
元気な人には想像し難いが、たとえば、余命いくばくもない人が、絶望しないで生涯を全うするために、宗教が安堵を与えることもあるのだろう。
その一方で、宗教は、まっすぐで純粋な人たちを取り込み、場合によっては悪意をもって蝕み、本人だけでなく、家族や周囲までを不幸に巻き込む。
あるいは、宗教が 「 原理主義 」 と化し、戦争の火種となり、さらに大規模な不幸の連鎖へと導くことも、周知の事実だといえよう。
私のような 「 へそ曲がり人間 」 は染まりにくいので無縁の話だが、個人的に 「 すべて、宗教なんか要らない 」 と、常日頃から思うのである。
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