Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2007年08月19日(日) 天賦の才



「 十万匹の精子の中で、あなたが一番だったなんて信じられないわね 」

                スティーヴン・パール ( アメリカのコメディアン )

I can't believe that out of 100,000 sperm, you were the quickest.

                                   Steven Pearl



旅行中、耳にした ジョーク の中で、これが最も面白かった。

たぶん、実際に言われたら、かなり落ち込むだろうけれど。


この一句が示した通り、ほとんどの仲間が 「 無駄死に 」 する中で、受精に辿り着ける精子というのは、かなりの 「 強運 」 を持っているわけである。

それを考えると、いくら周囲から罵られようとも、自分は 「 最強の遺伝子 」 なのだという誇りを、誰もが抱いてよいように思う。

特に日本人の場合は、潜在能力に多少の違いがあったとしても、人は誰も 「 基本的には同じような力を持って生まれてきたのだ 」 という認識が強い。

だから、学校教育でも、家庭教育でも 「 努力 」、「 勤勉 」、「 一生懸命 」 といった言葉が強調され、それが人を育てる骨子になっている。

誰でも 「 一生懸命にやれば 」、あるいは 「 能力が劣っている側は、勝っている側の二倍努力すれば 」 成功するという信念を、多くの日本人が持つ。


これに対し、アメリカ では 「 努力 」 や 「 一生懸命 」 が強調される場面は少なく、それよりも 「 アビリティ = ability 」 を重視する傾向が強い。

すべての場面で アビリティ を 「 先天的能力 」 と訳せるわけではないが、多くのアメリカ人にとって ability とは 「 もって生まれたもの 」 にあたる。

当然、もって生まれた アビリティ も、磨かなければ開花しないわけだから、そこに努力の必要性が生まれることは事実である。

ただ、「 アビリティ をもって生まれなかった子供に努力を強いても、大した成果は生まれない 」 という考え方が強く、誰にでもは努力を強調しない。

多くの日本人が、「 何らかの理由で生じた差は、努力によって埋められる 」 という “ 平等思想 ” を抱いているのに対し、ここが大きな違いである。


日本でも、たとえば音楽やスポーツには 「 天賦の才 」 が必要だと認める人が多く、そういった 「 特殊な アビリティ 」 は別格に扱われやすい。

アメリカ人の場合は、日本人が 「 特殊 」 と考える分野も、国語や、社会や、数学など 「 普通 」 と考える分野も、区別をしないで一緒にする。

アビリティ とは、もって生まれたものだから、それのある子供と、ない子供を同じ グループ に入れて勉強させるのは、適当でないという考えが強い。

アメリカ的発想の問題点は、「 一見もってないように見えても、実は磨けば可能性の出てくる子供の才能が、見逃されてしまいやすい」 傾向にある。

逆に日本的発想の問題点は、「 平等という名のもとに、先天的能力の低い子供には、常に過剰な “ 努力 ” が強いられやすい 」 という傾向にある。


アビリティ は学校の成績だけでなく、学業で成果があっても実生活で失敗する人がいれば、他の種類の アビリティ を活かして成功する人もいる。

最近の日本社会は、そこそこの大学を出て、知力、能力などで自信のある 「 エリート意識 」 の強い人が、仕事に頓挫して 「 うつ 」 になりやすい。

アメリカでは、「 各人の アビリティ は生まれつきのもので、不平等なものである 」 という認識があるから、こういうときは、まず アビリティ を見直す。

日本人のように、「 会社が悪い 」、「 社会が悪い 」 と第三者のせいにしたり、あるいは 「 努力が足りない 」 と、執拗に自分を責めるばかりではない。

まるで努力しない人は論外だが、誰もが何かの 「 天賦の才 」 を持っているはずだから、それを有効に活かす選択肢を探ることが、最も肝要だと思う。






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