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2007年08月10日(金) 平和のため、誇りを犠牲にする日本人



「 偉大な行為は、たいてい大きな危険を冒して成就する 」

                        ヘロドトゥス ( ギリシャの歴史家 )

Great deeds are usually wrought at great risks.

                                     Herodotus



国民の声に応え、その要望に従う政府が、最も良い政府だと思う。

もし、国民の意見が間違っていたとしても、国家は国民のものである。


私は、自民党が優勢なときも、民主党に風が吹いても、それが国民の選択であるならば、その意志に従うことが最善だと書き続けてきた。

他の人の ブログ には、自民党が選挙に勝てば 「 国民はバカだ 」 と批難し、民主党が勝てば 「 国民の意思に従え 」 などと書かれたものもある。

いづれにせよ、どこが勝ったという結果に関わらず、国家の命運は国民に決定権があるのだから、その意思に従うべき事実に変わりはない。

前回の選挙で、国民が自民党を見限り、民主党に期待を託したのは明白なわけで、国政が受け容れられなかった問題点を反省する必要がある。

いくら大義名分があろうと、国民の期待や要求に添えない政府が存続する理由などなく、すべては国民の意思が尊重されるべきなのだ。


ただし、唯一、問題があるのは、「 いまの国民にとっては不利益だけれど、取り組まざるを得ない事柄 」 を、どのように対処していくかという点だ。

たとえば、減税、福祉の改善、物価の安定、景気の回復など、大半の国民が無条件に歓迎する政策ばかり行うと、国民の支持は増え、反発もない。

しかし、それは政府にとって 「 財政を悪化させる要因 」 であり、ようするに国民の 「 ご機嫌 」 ばかり取っていては、借金が増えるばかりだ。

末永く国家を安定継続させるためには、将来にも備えて、国民にとっては 「 耳の痛い話 」、「 できれば聞きたくない話 」 も、しなければならない。

政治家の資質は、国民からの支持を集めた上で、国民にとって負担となる事柄にも理解を得る能力で、それができなければ単なる 「 お調子者 」 だ。


国際貢献も国民にとって 「 耳の痛い話 」 の一つで、直接的な利益が還元され難く、負担は身に染みるが、効果については実感が得られない。

しかし、江戸時代のように 「 鎖国 」 していれば話は別だが、この時世で、「 負担が大きいから、国際貢献に寄与しない 」 というわけにはいかない。

たちまち世界から孤立し、貿易は不振になり、経済が悪化するばかりか、食料自給率の低い日本は、最悪の場合 「 飢餓 」 に陥る危険すらある。

もちろん逆の見方として、食料自給率を高め、軍備を拡大すれば、同盟国などの支援を受けずとも、単独で生き延びる道はあるかもしれない。

だが、いますぐに実行できる可能性は皆無で、あまり現実的な発想だとは思えないから、やはり、世界の中で孤立することは得策でないだろう。


特に外交政策というものは、国民にとって単純に 「 得 」 か 「 損 」 かでは計れない問題が多く、「 己の利益 」 と 「 協調性 」 の バランス が難しい。

また、日本という国家が、海外からどのように評価されているのかという 「 評判 」 や 「 信用 」 は、無形の財産であって具現化がし難い。

これは、相手国の状況によっても異なり、たとえば平和な状態が長く続いた国からみれば、日本は 「 平和憲法 」 を遵守する国として賞賛されている。

しかし、圧政に苦しめられたり、理不尽な侵略に脅かされている国からみた場合、日本は 「 この惨状を知りつつ、助けてくれない国 」 でもある。

その点、アメリカは荒っぽいところや、強引な部分もあるが、リスクを冒してでも 「 世界平和と秩序維持に貢献する 」 という明確な主張を持っている。


民主党の 小沢 代表 は、イラク戦争を 「 アメリカが勝手にやったこと 」 と言明し、イラク特措法の延長にも反対の意思を示している。

イラク戦争では多数の死傷者が出て、いまなお治安の悪い状況が続いているけれど、では、イラク戦争がなければ、人的被害が無かったのだろうか。

毎日のように、フセイン による理不尽な殺戮が繰り返され、何の罪も無い国民が処刑されていたが、彼らを救う手段は他にあったのだろうか。

改憲論者も含め、誰一人 「 戦争がしたい 」 などと考える人間はいないが、「 自分たちだけが平和なら、他は見殺してよい 」 とは考えない人も居る。

イラク特措法を延長したり、憲法を改正することは、たしかに国民にとっては目先の利益に反するが、それが国際貢献を考える指針にはなり得ない。


学校で イジメ が起きたとき、現場に 「 いじめた子 」、「 いじめられた子 」、「 傍観していた子 」 の三者が居たことは、誰の目にも明らかだ。

武士道精神を尊ぶ昔の日本人気質なら、いじめた子だけでなく、傍観者に対しても批難したはずだが、近頃、そういう声はあまり聞かない。

たぶん、イジメ そのものは昔からあったし、数にすれば昔のほうが多いぐらいだったが、昔はそれを止めさせる 「 ガキ大将 」 もいたのである。

それが、最近では子供たちの世界も 「 ことなかれ主義 」 が浸透し、たとえ他人を庇う目的でも、暴力は振るうなと諭す親が増えたようだ。

悪いことだと断言できないが、「 平和より大切なもの 」 など無いかのような考え方は、偏った戦後教育の賜物のようにも思え、一抹の寂しさを感じる。


自分のことだけでなく、リスクを張ってでも困った人たちを助ける気概とか、弱者を見殺しにしない勇気が、「 大和魂 」、「 武士道精神 」 だった。

しかし、日本人の気質は変化し、「 自分さえよければよい 」、「 平和のためなら、誇りも、正義も犠牲にする 」 という考え方が、徐々に蔓延してきた。

また、天下の横綱でさえ 「 ズル休みを厳しく叱ったから、うつ病になった 」 なんて女々しい泣き言を、恥じることもなく公言する時代になったのだ。

それでも、それが国民の望む姿勢であれば、その意思に従う政府が最良であって、たとえ 「 腰抜け国家 」、「 精神病国家 」 でも、それは仕方がない。

ただし、「 お金 」 や 「 平和 」 は、一度失っても取り戻せるが、「 誇り 」 や 「 羞恥心 」 が簡単には戻らないことを、知っておく必要はあるだろう。






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