| 2007年03月29日(木) |
植木 等 さんと共演 (?) した思い出 |
「 われわれは過ぎ去った日々を思い出すのではなく、
過ぎ去った瞬間を思い出すのだ 」
チェイザーレ・パヴェーゼ ( 作家 )
We do not remember days, we remember moments.
Cesare Pavese
私の部屋には、大切にしている40年前の古いモノクロ写真がある。
プロの写真家が撮ったもので、そこには二名の人物が写っている。
場所は大阪コマ劇場、客席に最も近い舞台端に、裃を着けた立派な侍姿の男性が、小学校低学年の男児を膝に乗せ、微笑みながら座っている。
男性は左腕で子供を支えつつ、右手にはハンドマイクを携え、膝に乗った子供は手持ち無沙汰なのか、男性の帯に挿した扇子を弄んでいる。
実は、この二枚目な男性こそ 植木 等 さんで、将来、その 植木 さんよりも二枚目になりそうな気配を秘めた膝上の男児が、幼少期の私である。
家族で 「 クレイジー・キャッツ ショー 」 を観劇しに行った際、前から5列目ぐらいの中央に座っていた私を、舞台の 植木 さんが手招きした。
なにしろ古い話なので前後の記憶は曖昧だが、たしか 「 芝居 」 と 「 歌謡ショー 」 の二部構成で、それは二部の終演まじかの出来事だった。
当時、大人から子供まで、一世を風靡する超人気者だった 植木 さんだが、映画館と違って、舞台観劇にまで子供を連れてくる家は珍しかったようだ。
映画やテレビを通じて大ファンだった私は、両親の観劇に喜んでお供したのだが、まさか、舞台に上げられるなどとは夢にも思わなかった。
その少し前に、なんだかやたら 植木 さんが自分の方をよく見るなぁと感じていたが、曲の間奏部分になったとき、ご本人から手招きされたのである。
照れくさいので、じっと座ったまま動かなかったのだが、すぐに劇場の係員がやってきて、周囲のお客さんに席を立ってもらい、道を開けてくれた。
それでもやっぱり恥ずかしいので動かずにいると、両親が笑いながら私を通路へと押し出し、舞台までは係員に手をひかれて行ったのである。
後から聞いた話だが、とても子供好きな人で、ご自分の家族も大切にされ、仕事が終わると真っ直ぐに帰宅し、家族との時間を楽しまれていたという。
あの頃、日本中を忙しく駆け回っておられたので、小さい子供を見つけると家族が恋しくなって、可愛くて仕方がなかったのかもしれない。
大好きな 植木 さんの膝に乗せてもらったものの、観客全員からの視線と、眩いスポットライトに動揺し、嬉しいというより、早く座席に戻りたかった。
劇場には専属のカメラマンがいて、その日の様子をフィルムに収めてくれ、後日、家に届いた写真を、今も大切に保管しているのである。
芝居の内容や、そのときに何の曲を歌っておられたのかなどは思い出せないが、あの膝の温もりや、優しい眼差しは、いまでも鮮明に覚えている。
邦画が元気だったあの時代、東映、大映は時代劇、日活はアクション物、松竹は文芸物、東宝は娯楽作品が人気を博していた。
森繁 久弥 さんの 「 社長シリーズ 」、「 駅前シリーズ 」、加山 雄三 さんの 「 若大将シリーズ 」、そして 植木 さんの出演作品が大人気だった。
なかでも 植木 さんの作品はすべて観たし、いまも DVD で発売されているものは全部購入し、何度も繰り返して拝見している。
当時のギャグは陳腐化し、いまではけして面白いものでもないのだが、植木 さん独特の豪快な笑い声、軽妙な動きは、時代を越えて輝き続けている。
他のコメディアンと大きく異なる魅力は、二枚目で運動神経に優れ、面白いうえにカッコよく、そのダンディズムに憧れを抱いてしまう点だ。
小学校で 「 大きくなったら何の職業に就きたいか 」 と尋ねられたときに、級友の多くは 野球選手 や、パイロット などを挙げていた。
私だけは、スクリーンで活躍する 植木 さんに影響を受け、「 サラリーマン 」 と元気よく答え、周囲を驚かせたことを覚えている。
もちろん、映画と同じようにはいかないが、植木 さん演じる ハイテンション な主人公の持ち味である 「 創意工夫と努力 」 は、仕事での教訓となった。
ひょっとすると、自分が仕事を通じて目指してきた理想像は、あの主人公であって、そこに近づこうと今日まで努力してきたのかもしれない。
謹んで故人のご冥福を祈ると共に、幼い頃からの夢と憧れ、そして、いまも私に元気を与えてくれる 植木 さんに、心からの感謝を捧げたい。
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