| 2007年02月09日(金) |
自殺ほど迷惑な死に方はない |
「 人生はギャンブルだ。 それもひどく確率の低いね。
これが賭けなら、まず誰もやらないよ 」
トム・ストッパード ( イギリスの劇作家 )
Life is a gamble, at terrible odds. If it was a bet you wouldn't take it.
Tom Stoppard
唐突な質問だが、「 切断された遺体 」 をご覧になったことがあるだろうか。
おかげさまで幸いなことに、私にはその経験がない。
私がそのような “ 気色の悪いモノ ” を見ずに生きてこられたのは、皆さんの誰一人として、私の目の前で電車に飛び込まなかったおかげでもある。
自殺を美化したり、「 自分の命なんだから、自殺して何が悪い 」 などと主張する御仁もいるが、自殺が他人に迷惑を掛けないというのは大間違いだ。
たとえば線路に身を投げた場合、バラバラになった肉片を放置していくわけにもいかないので、駅の職員や、作業員の方がそれを片付ける。
当然、彼らの主たる業務は 「 自殺者が出た場合に肉片を拾って集める 」 ことではなく、自殺者さえ現れなければ、普段は普通の仕事をしている。
皆さんと同じく、ごく普通の仕事をしている人たちが、突如として何の前ぶれもなく、血まみれで骨が剥き出しになった肉片を、拾い集める羽目になる。
とてもディープなお仕事だが、嫌がって誰もやらなかったとすれば、後続の電車を走らせられないので、通勤や帰宅のできない人が困ってしまう。
それが踏み切りの近くだったりすれば、たまたま通りかかった心臓の悪いお年寄りや、無邪気な幼稚園児や、あるいは貴方の目にそれが晒される。
ごく一部の特殊な性癖を持つ人は、「 滅多に見れないので ラッキー♪ 」 と喜ぶかもしれないが、圧倒的大多数の反応は、けしてそうではない。
しばらく食事が喉を通らなかったり、うなされて眠れなかったりする程度ならマシなほうで、それを目撃したショックが、大きな心の傷になる人もいる。
ちなみに、目撃 ( 視覚 ) するよりも、断末魔の叫びを聞いた ( 聴覚 ) 人のほうが、いつまでもショックが消えないというケースもあるらしい。
これが線路への飛び込みでなく、首吊りでも、崖からの身投げでも、風呂場で手首を切った場合でも、誰かに発見されるかぎり似たようなものである。
もしも、「 誰にも迷惑をかけない自殺 」 なんてものがあるとしたら、それは 「 誰にも遺体を発見されない死に方 」 であることが、絶対条件だろう。
仮に遺体が見つからなくても、「 知人の○○さんが自殺した 」 と聞かされるのは不愉快だし、ましてや親兄弟、夫婦などの関係者はショックが大きい。
だから、企業に勤めている人は早々に辞職し、家族や友達とは縁を切り、急にいなくなっても 「 心配する知人はいない 」 ようにしておく必要がある。
こうやって、「 自殺したことを誰にも気づかれず、遺体も発見されない 」 ようにした場合は、他人に迷惑を及ぼす危険が少ないともいえるだろう。
東京都板橋区の東武東上線ときわ台駅で、自殺しようとした39歳の女性を助けようとした53歳の巡査部長が、電車に轢かれて重体になっている。
命の大切さを忘れ、他人に迷惑を及ぼすことなど気にもかけない自分勝手な人間を、この警察官は命がけで救おうとしたのである。
並大抵の勇気では成し遂げられない善行だが、女性は死にたかったのだから、「 助けてくれてありがとう 」 とすら、まったく感謝などしないだろう。
彼の回復を祈りたいが、人間のクズともいえる自分勝手なキチガイのために、立派な警察官を失うことになったとしたら、これは社会の損失である。
もはや、誰かに迷惑がかかるどころの話ではなく、このキチガイは自殺者というよりも、「 人殺し 」 と判断したほうが妥当だろう。
昨年のニュースで、自殺願望のある男が通りすがりの女性から車を奪い、女性を同乗させたまま事故を起こし、死亡させたという事件もあった。
日本の自殺者が年間3万人以上いて、格差社会に問題があるとか、政府、行政の責任であるかのように批評する御仁もいるが、そうではないだろう。
どんなに景気がよくても、不景気でも、世の中が平和で安定していても、そうでなかったとしても、自分の命を粗末にするキチガイには同じことである。
逆に、どんな世の中であっても、苦境に立たされたとしても、勇気を携えて、力強く生きようとする人は、安易に自殺などするわけがない。
自殺を図ったり、ほのめかしたり、実際に自殺した愚か者は、「 自分が楽をすることしか考えない、根性なしの卑怯者です 」 と宣言してるのと同じだ。
自殺者の数を減らしたいなら、中途半端な同情などせずに、いかに自殺が社会の迷惑であり、卑怯で、かっこ悪いことなのかを知らしめるべきだ。
以前から疑問視しているのだが、『 あしなが育英会 』 という団体があって、親を亡くした子供のために奨学金などを与える活動をしている。
その主旨自体は立派なのだが、以前は対象が 「 交通遺児 」 を中心としていたのに、最近では 「 自殺遺児 」 が肩を並べているのである。
もちろん、たとえキチガイの子供であっても、子供に罪はないのだけれど、自殺遺児に対する支援活動をアピールするのは、あまりよくないだろう。
自殺しようかと悩んでいるキチガイ親が、そんな制度があることを知ってしまうと、子供を残して自殺しても大丈夫という、勝手な解釈をしやすい。
柳沢大臣ほどでなくても、誰にでも差別意識や、他人に対する先入観というものはあるわけで、私の場合、矛先は 「 自殺企図者 」 に向いている。
多くの人が、ちょっと 「 死んだら楽になれるかな 」 ぐらいのことは考えたりもするだろうが、ロープを首にかけたり、手首を切ってみる人間は異常だ。
まず 「 精神科 」 に行くこと、生死や、社会のあれこれについて深く考えないようにすることが肝要で、なにより、異常であることを自覚すべきである。
蛇足ながら付け加えると、そういう人たちを私は 「 差別 」 するが 「 敵視 」 しているわけでなく、無駄に命を落とさないで欲しいと願っている。
経験上、彼らに 「 優しい言葉は逆効果 」 であり、自殺の不毛や罪悪を説くほうが、よほど彼らを救うと知っているので、これからも主張していく。
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