「 忙しいだけでは十分でない。 問題は何で忙しいかである 」
ヘンリー・デービッド・ソロー ( 歴史家、作家 )
It's not enough to be busy. The question is what we are busy with.
HENRY DAVID THOREAU
ご多分に漏れず私も、年の瀬で慌しくしている。
こんな日にも日記を読んでくださる方がいるのは、嬉しいかぎりだ。
奈良では、鬼畜とも思える犯行の加害者が、ようやく逮捕された。
彼ほどではないにしても、「 間違った ベクトル に エネルギー を放出するのに忙しい 」 という御仁は、けっこういるだろう。
人も企業も、かぎられた資産や能力を、正しい方向に集中させてこそ、効果的に結果を出せるものであり、そうありたいものだ。
ただし、一見、無駄と思える行為でも必要なものはあるし、生産性が高いからといって、そこばかりに注力すればよいというものでもない。
仕事において、「 何で忙しいか 」 ということは、実は難しい課題なのだ。
この一年において、私が一番よく働いたのは 11月 であった。
自分の会社を経営しながら、二つの企業の顧問と、役員をしていた。
現在、その一つからは解放されたのだが、最後の大仕事として 11月 には 280時間を割いて、ご奉公させてもらったのである。
最後の仕事だからこそ、全力を尽くして改革したい事柄が多かった。
故事に 「 発つ鳥、跡を濁さず 」 という言葉もあるが、何も残さないというのは簡単な話で、「 良い仕事を残し、良い跡を濁す 」 ことが望ましい。
今年を振り返ると、正直、あまり儲かった年とは言えなかった。
それでも、忙しく動いた成果が、来年への期待にはつながっている。
来年は新しい雇用を創出できそうだし、ちょいと暇ができたら、スキーやら、旅行やらに行けそうな目途もついてきた。
三歩進んで、二歩下がる。
それでも前には向かっているのだし、いつかは 「 千歩進んで、一歩も下がらない 」 という日を目指して、頑張っていけばよい。
世間では中高年と呼ばれる年齢になったが、まだまだ青いところがある。
いまだに失敗も多いし、未知の事柄に出会い、はっとしたり、瑣末なことで喜んだり、青ざめたり、今後も勉強しなければならないことが多い。
それでも、無駄や失敗に落ち込むことなく、あとの人生で、それを肥やしに変える努力や、研鑚を続けていけば、必ず実を結ぶと信じていこう。
親にもらった頑健な体と、明日への希望があるかぎり、未来は明るい。
来年も忙しい一年になりそうだが、頑張っていきたいと思う。
( 本日のおさらい )
「 正しい目的に向かって、“ 忙しい ” ことが肝要 」
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