「 正しい戦争とか、間違った平和というものは、あった試しがない 」
ベンジャミン・フランクリン ( アメリカの科学者、政治家、文筆家 )
There never was a good war or a bad peace.
BENJAMIN FRANKLIN
冒頭の名文は正しく、何の異論もない。
戦争に 「 正しい戦争 」 なぞ、あろうはずがないのだ。
イラク戦争を支持するということを、即ち 「 イラク戦争が正しい 」 という認識と結びつけて考える人がいるようなので、誤解を解いておくべきだろう。
別にイラク戦争にかぎらず、すべての戦争は 「 正しくない 」 のである。
たまに、平和主義者を気取っている人が 「 イラク戦争の正当性は? 」 などという質問をしたり、議論を蒸し返したりしている。
私からみれば、むしろ 「 戦争の根拠に正当性を求める 」 などという人間のほうが、よほど平和からは縁遠い 「 危険人物 」 に思えてならない。
事実、彼らは 「 大量破壊兵器が見つからなかった 」 ことを、重大な論点のように語っているが、逆にいえば、「 見つかれば正しかった 」 ことになる。
私の意見は、大量破壊兵器があろうが無かろうが 「 戦争は正しくない 」 というものだから、そんなモノの存在は、たいした意味がないのである。
こうやって説明すると、「 エセ平和主義者 」 の化けの皮はすぐにはがれ、彼らがただの 「 天邪鬼 」 だということが理解しやすいはずだ。
つまり、「 自分が幸せでない 」 とか、「 自分の思い通りに世界が動かぬ 」 ことへの逆恨みで、政府や社会にインネンをつけているだけである。
もちろん、私自身を 「 真の平和主義者 」 だと名乗るつもりもない。
本来は 「 正しくない 」 戦争だが、他に方法も無く、避けられない場合には実行すべきだとする意見が、私を含めた大半の声ではなかろうか。
たとえば、「 暴力は正しい 」 と考えている人は少ないだろう。
二年前、中国瀋陽の日本総領事館に 「 脱北者一家が駆け込んだ事件 」 を、ご記憶の方は多いと思う。
当時、問題になったのは 「 その場に居合わせた外務省役人の態度 」 で、それは 「 ポケットに手を突っ込んだまま傍観している 」 という姿だった。
泣き叫ぶ幼い子供を、中国の警官が捕らえようとしている状況を目の当たりにして、彼らは何もせず、じっと状況を見守っていた。
ワイドショーも、平和主義者を名乗る人たちも、その光景を 「 非情だ 」、「 冷淡だ 」、「 人間性を疑う 」 と、しきりに非難していた記憶がある。
もし、あの場で、「 その子から手を離さないと、痛い目をみるぜ 」 と恫喝し、中国の警官と闘って子供を解放する役人がいたら、どうだっただろう。
それは、あるいはその行為が 「 暴力 」 であったとしても、「 義を見てせざるは勇なきなり 」 として、なかなかの正義漢と称えられたような気がする。
実際、世論が非難したのは 「 無抵抗で脱北者を引き渡した 」 という役人の臆病さであり、声に出さねど求めたのは、そういった行為ではないのか。
脱北者でピンとこなければ、日本人の子供に置き換えてもよい。
もしも、善良な日本人の子供が、悪漢に誘拐されようとしているとき、それを力づくで阻止しようとした者を、はたして 「 暴力 」 と非難するだろうか。
相手が何者で、いかに正当な目的があろうとも、暴力は暴力である。
私はさほど短気でもなく、けして自分を暴力的な人間とも思わないが、武装した警官が、いたいけな幼子に手を出すのを、黙って見てはいないだろう。
ましてや、自分の友達や、愛する人が危険に晒されていれば、暴力を行使することのリスクを承知していながらも、やはり自分で行動するはずだ。
大阪弁でいうところの 「 ボコボコにしてやる 」 というやつだ。
あとから、それを 「 暴力だ 」 だの 「 過剰防衛だ 」 だの言われたとしても、責任を恐れて鉄槌を下さないような 「 臆病者 」 ではない。
戦争というものは、いわばその延長線上にある。
たとえ 「 正しくなくても 」 殴らなきゃならん奴は殴るし、ましてや、守らなきゃならん者は守るのが、人間としての自然な本能である。
それを、理論立てて正当化することはできず、「 違法 」 と言われればそれまでだが、追い込まれた状況の中で 「 善か悪か 」 はさほど重要ではない。
基本的に、「 命 」 というものを 「 かけがえのないもの 」 と考える人間は、是か非かよりも、どうすれば多くの、より責任のある命を救えるか考える。
誰が死のうが生きようが、合法的か否かを優先して考えるのは人として不自然で、結局、自分や他人の命に執着のない者は、そちらに走りやすい。
世の中に 「 けしからん国家や、人物 」 が一人でもいるかぎり、武装したり、機先を制したり、報復する術を持って対抗する必要がある。
もちろん、それで戦争に至ったとしても 「 正当性 」 を主張することは困難だし、正当かどうかは、はたして優先順位のトップではないだろう。
人は 「 正しいか否か 」 よりも、まず、己の生命を守り、愛する者、罪なき者を守ることが、なにより大切なことだ。
当然、いくら世の中が非情で、不公平で、皮肉で、愚かなドラマだとしても、人間同士が信じあい、認め合える環境を整える努力も必要ではある。
残念ながら、現在はそれに程遠い状況にあり、むしろ理想とは対極の位置に近づいているのだから、米軍が退いても戦争は終わらないだろう。
( 本日のおさらい )
「 正しい戦争なぞ無いが、是も非も無く、守るべき者は守って当たり前 」
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