Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2004年04月12日(月) 親不孝

たとえば、危険な場所に 「 立ち入り禁止 」 の看板があったとする。

周囲をロープで囲い、警備員が付き添って警戒を呼びかけている。


それでも、その先に興味のある人の一部は、柵を乗り越えようとする。

いくら 「 危険なのでお止めください 」 と言っても、前に進むことは 「 個人の自由だ 」 という論拠で、係員の制止に耳を貸さない。

この場合、それが狂人ではないのだとしたら、「 危険を承知のうえで、相応の覚悟をもっている 」 ということが考えられる。

あるいは、「 大袈裟に言ってるが、たいした危険はないだろう 」 というくらいに、危険のレベルを低めに意識している可能性もある。

いづれにしても、そこへ侵入することが 「 個人の自由 」 であるなら、何かの事故に遭遇した場合も、「 個人の責任 」 で対処すべき問題だろう。


現時点で安否は確認されていないが、イラクで人質にされた三名の邦人は、犯行グループから無事に解放されるという見通しになっている。

この件については様々な意見があり、こうなった責任は被害者にあるとか、あるいは日本政府の政策に問題があるとか、論議をよんでいる。

中には、「 悪いのは、危険を承知で現地に足を踏み入れた被害者であり、勝手に行ったのだから助ける必要はない 」 という過激な意見もある。

私の個人的な意見としては、どのような過去の経緯があったにせよ、邦人が危険に晒されている以上、政府は全力を挙げて救出するべきだと思う。

もちろん、その方法は慎重に検討する必要があり、簡単に自衛隊を撤収したり、身代金を渡すなど、安易に犯人側の要求に応じるべきではない。


三人は物見遊山ではなく、大儀を感じて危険地帯へ足を踏み入れたのだから、主旨に賛同するか否かは別として、それを悪いことだとは思わない。

国の方針に従わず、個人の意思で戦地へ赴くのも、悪いことではない。

しかし、国に期待できなかったり、その政策に異論を唱えて旅立ったのであるなら、「 助けるのが当然 」 というスタンスでは問題がある。

政府が何を言っても断固として個人の主義を貫くという一方で、危険な目に遭ったら政府として助けるのが当たり前だという考えは、少し勝手過ぎる。

そのあたりを整理して考えないと、この問題の真理は見えてこない。


被害者の三人が、日本政府に助けを求めているかどうかは、わからない。

ただ、マスコミを通じて彼らの家族が訴えている姿をみると、個人の自由と責任、あるいは国家との関わりというものに、少し矛盾を感じる。

私は、人の一生なんて短いものだから、自分が正しいと信じる道を、信念をもって好き放題に進めば良いと考える人間の一人だ。

ただしそこには、「 人に迷惑をかけない 」 とか、「 他人の犠牲のうえに目的を達してはいけない 」 という、最低限のルールが存在する。

誰からも干渉を受けずに、己の道を突き進む者は、他人や国家の行動についても、干渉したり、非難することはできないと考えるのが妥当だろう。


国と個人の関係は、いうなれば 「 親子 」 のようなものではないか。

家が気に入らないからという理由で、親の制止を振り切って家出した子供でも、どこかで危険な目に遭っていると聞いたなら、普通の親は心配する。

親とはそういうもので、それで良いのである。

国家も同じように、たとえ 「 親の言うことを聞かない子供 」 でも、変わらぬ愛情を注いでやることが望ましいように思う。

ただ子供のほうも、それに対し 「 当たり前だ 」 という認識ではなく、有難いという感情を持たなければ、「 バカ息子 」 と罵られても仕方が無い。


海外で活躍する日本人の多くは、離れてから日本の良さを改めて知る。

それも、郷里の親を想う気持ちに似ている。

もちろん、日本ならではの習慣や、政治、文化などの中に、それが非効率的であったり、欧米に比べて遅れていると感じるような事柄も多い。

しかし、「 反抗期も過ぎた立派な大人 」 が、いつまでも親 ( 国 ) の悪口や、不満ばかりを口にしているようでは情けない。

けして、優等生の孝行息子にならなくてもよいが、「 好き勝手に振る舞い、困ったら親のスネをかじる 」 という甘えからは、脱皮したほうがいいだろう。


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