| 2003年08月09日(土) |
今日も絶好調に支離滅裂な思考で |
今日は歯医者の後、時間が空いたので梅田へ出て 劇団☆世界一団の『世界一団の博物館』を見てきた。
二時間という時間、狭い板の上に、あらゆるものが詰まっていた。
昨日は雨の中、自転車で転んでしまいカゴが大きく曲がった。
そのせいで今日、自転車に乗るとどことなく平衡感覚がおかしい。 自転車をまっすぐにしても、カゴがまっすぐにならないからだ。
人間というのは単純なものだなぁ…と思うのは、こういう時だ。
止まっているとわかっているエスカレーターに踏み込み、 止まっている心積もりでありながら、前につんのめるような時だ。
友達と「幸せとはなんだ?」という話をしていた。
とりあえず大辞林を引くと、以下のようなものだった。 「“幸せ”とは“仕合わせ”であり、巡り合わせが良いことである」
これではまるきり運次第であり自らの力では掴めないもののようで、 この定義は非常に不満に感じた。
幸せがすべて運に左右されてるとは思わないけれど、 出会いによって幸せになることは確かだ。私は確かに恵まれている。
カッコヨク生きている人との出会いには本当に感謝している。
ちゃんと泣かせてくれる人、自然に笑わせてくれる人 奮起させてくれる人、大好きな人がたくさんいる。
ここ最近は荒俣宏監修の『知識人99人の死に方』という本を読んでいる。
タイトルどおり、世間によく知られた99人の死にスポットを当てたものだ。
とはいえ、死の瞬間だけを切り取ったものではなく 死を見つめるということは生を、人生を見つめることだ。
「人は死してはじめてその人格が完成する」 などと言われるが、当然ながら人間というのは 「あの人は○○な人だった」「○○だけれど□□な一面もある人だった」 といった、ひとことふたことで語れるようなものではないと思う。
当然この本で書かれていることは、故人のほんの一部であり 故人を知る人の眼や人生観といったフィルターを通したものではある。
それでもやはり壮絶なものが多く、読むのになかなかの時間を要している。
この本の中に「作家は毎日のように遺書を書いている」という言葉があり、 私は作家ではないけれど深く納得した。
私が空の広さを知ったのは、つい最近のことだ。
そこに果てがないことを知識としては知っていたけれど、 そのことを目でも頭でもなく“感じる”ようになった。
そういう意味では私はまだ、 風の心地好さや花の美しさは知らないのかもしれない。
これから先の人生が少し楽しみだと思う。 それらを本当に知るまでは、生きてみてもいいんじゃないだろうか。
それらを超える数々の、醜いものも知らなければならないとしても。
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