部長motoいっぺい
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ほろ酔い加減なので、珍しく政治ネタ。
小泉総理大臣が終戦記念日に靖国神社に参拝。総理大臣にも信教の自由があるという主張、中韓の内政干渉による参拝中止はすべきでないという感情、総理大臣として戦争を二度と起こさない誓いのために参拝するという考えなど、それぞれもっともだと思う。全くもって正論であると思う。
それでもやはり、総理大臣の靖国神社は避けた方が得策だと考える。
理由は単純。この問題がすでに「ガキの喧嘩」のレベルになってしまっているから。ガキの喧嘩は、必ずしも「勝ったほうが勝ち」ではない。「もう相手にしてられない」と喧嘩を放棄した方が、結果として勝ちと周囲から見られる場合が多い。
加えて、総理大臣が靖国神社に参拝する「国益」が見えない。私人としての総理大臣個人の信念は貫けるかもしれないが、それは国益ではなく一個人のマスターベーションに過ぎない。総理大臣に限らず、社会人であればそれぞれの立場で自分自身の発言や行動が制限されるのは、当然のことである。小泉総理だって、靖国以外で自分自身の行動や発言を縛っていることがたくさんあると思うのだが、どうして靖国に関して自分自身の行動を制限することができないのかが分からない。
もちろん、靖国神社に祀られている遺族の中には、天皇陛下や国権の長たる総理大臣に参拝して欲しいという方も大勢いらしゃると思う。ただ、戦後60年以上たって、そうした方々が世論の過半を占めるとはとても思えない。
小泉総理大臣に限っていえば、少なくても昨年までは終戦記念日を避けるという「譲歩」は出来たのだから、もう一歩踏み込んで、総理大臣在任期間中は、「大人の対応」として参拝を避けることもできたのではないか。また、靖国神社以外の国立追悼施設(無宗教)を作ることに、もっと力を入れても良かったのではないか。
「その程度のこと」で、ギャーギャー騒ぐ中韓や左派系マスコミを子ども扱いできるのならば、個人の信念を一時的に棚上げすることも、そう格好悪いことではないと思うのだが。
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