部長motoいっぺい
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2002年09月19日(木) 9月11日に思う

今日の日記は少し硬めです。
思っていることがきちんと表現できるかどうか、挑戦してみます。


9月11日から一週間たった。

エンピツ上でも同時多発テロに関する日記が多く見られたが、純粋に犠牲者に哀悼の意を示すものある一方、アメリカ至上主義がテロの原因であるというようなアメリカ批判なども見られた。

僕もアメリカという国が(あえて国民とは言わない)、あまりに独善的であると思い自制を求める一人であるが、そのこととテロ(特にその犠牲者)については分けて考えるようにしている。

先日、とあるメーリング・リストの発言に「世界貿易センターで働くこと(がどれほど危険なことか)を考えておかねばならなかった」という、ともすれば「被害者の自己責任」とも受け取れるものがあり(実際に発言者は、そこにオフィスを置いていた会社を批判していたと思うのだが)、それはどうかな?と僕は思った。


あまりいろいろと難しいことを考えすぎてしまうと、簡単な原理原則が見えなくなってしまうのではないか?と思う。


単純に考えて「殺される方より殺す方が悪い」のではないか。


テロに関しても原因や責任は、難しく考えればアメリカ国家にあったり、そこに事務所を構えた会社にあったりするのだろうが、やっぱりテロリストが一番悪いことに違いはないのではないか。

ただし、「殺される方が、殺す方より悪い」場合も、例外的にある。例えば、
・死刑執行人と死刑囚の場合
・殺されそうになって、殺し返した場合
などが、すぐに思い浮かぶ。

とすると、テロリストは「アメリカという国」に殺されかかっていたから、「アメリカという国(国民・財産)」を殺しかえした、という理屈がつくのかもしれない。

でも、ちょっと待って欲しい。

テロリストは戦場で敵と向かい合い、「殺さなければ自分が殺される」という状況で貿易センタービルにいる人々を殺したわけではないのだ。

非戦闘員(アフガニスタンで空爆にあった人々を含む)が殺されるという状況において、殺す側はやはり悪だと思うのだ。その意味においては、アフガニスタンの非戦闘員を巻き込んで攻撃したアメリカも悪だと思う。

ただし、アメリカが悪であるからといって、テロリストの悪さ加減が幾分でも薄まるものではない。


やっぱり、殺す方が悪い。


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