健太郎のお姉ちゃん(その後のふたり)
私が彼と再会したのは、紫陽花が鮮やかな色をつけ始めた、6月はじめのことだった。
友人の結婚式でのこと。席次表に乗っていた彼の名前――最初は同姓同名の別人かとも思ったけど、面影のある顔立ちに、私は一瞬息をのんだ。
席次表によると、彼は花婿の務めている会社の後輩らしい。私は花嫁の大学時代の友人だった。
そして席が埋まる頃になると、向こうも私の存在に気づいたようだ。披露宴の最中、ずっと彼の視線を感じていたのだが、私はそれをうまくかわしていた。
いや、彼との再会が嫌なわけではない。ただ、どう言葉を返すべきかずっと分からなかったのだ。
――披露宴が滞りなく終わると、その日のうちに二次会が催された。
洞窟遺跡を思わせるような場所だった。ぼんやりとした灯りだけの空間は独特の雰囲気を醸し出している。
てんこ盛りだった料理は二十分もしないうちに、披露宴に出席しなかった者たちがあっという間に平らげた。
二次会では新郎新婦がより祭り上げられる。二人を祝う声。盛り上がるビンゴ大会。
私は会場の隅で琥珀色の飲み物を持て余していた。洞窟の中を流れるのは緩やかな旋律だ。
なんとなく聞いたことのある曲に私は意識を吸い込まれる。この曲何だっけ、と思う。
すると、
「G線上のアリアだね」
ふいに聞こえた言葉に私はどきりとした。視線をそちらに移すと彼の顔が宵闇にぼんやりと映る。
彼は遠くにいるできたての夫婦を眺めながら、二人の思い出の曲らしいよ、と目を細めていた。
「久しぶり。小学校の時以来だから――十五年ぶりになるのかな?」
昔と同じ、穏やかな眼差しが私に向けられる。
「まさか、ここで藤田に会えるとは思いもしなかった」
そうだね、と私は言葉を返す。一拍置いたあとで、久しぶり、と言葉を返した。
十五年ぶりの再会、彼が紡いだ小学校いう言葉。その響きに一瞬だけ胸が詰まる。まだ、幼かった時の頃がふいに思い出される。
あの頃の自分は他の誰よりも体が大きくて、下級生から恐れられていた。私に背を抜かれた同級生の男の子たちからはジャンボ、なんて言われてからかわれていたっけ。
私は昔を邂逅し小さく微笑む。子どもがつけるあだ名なんて単純だったけど、女の子に「ジャンボ」はなかったよなぁ。
あの頃、私は強がって、それがどうした、っていう態度を取っていたけど、こっそり傷ついていたことなんて誰も知るわけがない。
でも、彼は私のことを「ジャンボ」ではなく、ちゃんと「藤田」と呼んでくれていた。
私を強く擁護することはなかったけど、彼のささやかな反抗はとても嬉しかった。
たぶん、初めて男の子を意識したのもその時だったのかもしれない。
小学校卒業を一か月後に控えた頃、私は彼にバレンタインのチョコレートをあげることにした。
一日かけて作って、彼の家の近くで待って、直接彼に手渡した。
あげる、と言ったあと、彼が私に見せた顔に私はぼおっとしちゃったけど、それは一瞬の幸せでしかなかった。
たまたま居合わせた同級生が、私たちをからかったのだ。
そして――
『ジャンボなんて嫌いだ』
彼の一言で、私の淡い夢はあっけなく終わってしまった。硝子が粉々に砕け散ったようなあの瞬間は今も心の隅に残っている。
でもそれは辛かった思い出としてではない。あんなこともあったなぁという、ある意味で達観したものだった。
今思えば、彼は周りのからかいに耐えられなくなったのだと思う。集団攻撃がアンファンテリブルを起こしたのかもしれない。一種の防衛本能だ。
確かに最初は悲しくて悔しかったけど、三日たったらどうでもよくなった。中学校が別々になって数か月たつと、笑い話に変わった。
そう、あれは若気の至り、淡くて切ない、優しい思い出――
「藤田?」
私は長い事思い出に浸っていたらしい。
沈黙に耐え切れなくなったのか、彼は声をかけてきた。
澄んだ瞳が私を射抜く。ちょっと困ったような、どうしていいのか分からない顔。でも、何かを伝えたいような、そんな意志が伝わってくる。
私はぐっと唇を結ぶ。ほんのりと頬が赤らんでしまったのはお酒のせいだろうか。
「今日……谷本にあえて嬉しかったよ」
やっと、言いたかった言葉が私から離れる。
微笑むとグラスの中の琥珀色がゆらりと揺れた。
使ったお題
硝子 紫陽花 花嫁 遺跡 てんこもり アリア 夢 アンファンテリブル