笑う角に光りあれ...オレステス・デストラーデ

 

 

ババンババンバンバン - 2020年03月30日(月)

志村けん死去の報に触れ、とてつもなく深く重い感情に包まれる。
それは、優れた医療技術を受けられるだろう人間だったとしても、呆気なく亡くなってしまうこの病の恐ろしさ、またそれに対する無力感と言うのがほとんどであるけれど、今まで陽としか考えたことのなかったものが簡単に陰に飲み込まれる様を見て、何だか天地が引っ繰り返ったような、そんな感覚でもある。

思えば、関西淡路の震災でも、リーマンショックでも、東日本の震災でも、自分の人生にダイレクトに跳ね返るような体験はしてこなくて、どこか遠くの出来事のように感じていた。
しかし、今回のコロナに際しては、すでに仕事への影響も出ているし、自分や家族への感染も決して非現実的ではないように感じている。

思い起こせば数か月前、たまたま点けたテレビに映ったバカ殿を目にするや、無意識にチャンネルを変えている自分がいた。

子どもの時分に見たこの番組は、現代では絶滅済の奔放さで、家族団欒の場にはなかなかハードな内容であった(思えば、そう思っていたのも、自分が子どもだったからかもしれない)。
であるから、親の視線を厳重に気にしながら、チラチラと画面を盗み見ていたものだ。

その自分が大人になって、今度はなぜか、子供に見せまいと無意識に動いていた。
何だか馬鹿みたいだったなと、今振り返るとそう思う。

でも、彼が亡くなって、こうしてゴールデンタイムにこんなハラハラするような体験をする機会もまたグッと減るのだろう。
そういう意味でも、彼の死はコロナの一言では片づけられない、親と子を繋ぐ一つのタスキを失うような、とても象徴的な出来事だったんじゃないかなと思う。


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