笑う角に光りあれ...オレステス・デストラーデ

 

 

doxa - 2005年04月22日(金)

毎週恒例ゴミバイト。
昨日の疲労はどこへやら、珍しく目覚めはよかった。
あいかわらず仕事は楽勝であるが、しっとりと汗を掻きながら、山科周辺をランニング。


14時頃帰宅し、1時間ほど昼寝。
起床後昼食を食べ、学校の図書館へ。
月曜提出のレポートのため、プラトンの「クリトン」を読む。
国法(国家)と不正について書かれた有名な対話篇(ソクラテス×クリトン)であるが、現代の倫理観と照らし合わせてみると、かなり破綻している気がする。
たとえば、こんな問いがある。


「故意に不正を行うことはどんなにしても許されないということになるのか、それとも、不正を行っていい場合と、いけない場合とがあるということになるのかね」(49)


これに対してソクラテスは、


「とにかく不正というものは、不正を行う者には、どんなにしてもまさに害悪であり、醜悪であるということになるのではないか」(49. B)


と答えているのだが、一概にそういう風には言えないだろう。
別に功利主義的な立場に立っているわけではないが、仮にそれが倫理的に不正な行為であったとしても、最終的にそれが良い行為であることはよくある。
あとは、不正というものを誰がどのように認識するかも大きな問題である。
仮にある人間が不正な行為を行なっていると周囲の人間が気づいたとしても、その本人が気づいていない場合、はたして不正はどこに存在するのだろうか。
痴漢だとか、通貨偽造だとか、その行為自体が不正であるものを別にしても、無意識下で行なわれている不正がその行為者に刻む害悪とは何なのであろうか。


まぁ、いろいろ考えていくとキリがないが、とにかく今年は9割方倫理学関連の授業しか取っていないし、徹底的にこの辺は勉強できればいいなぁと思う。


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