かなしいうわさ
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2009年04月29日(水) 死んだ事もないし他者になった事もないけど、

こうの史代 /この世界の片隅に 下巻



大好きな本は何度でも読んでしまう。
この下巻は昨日買ってからもう5回は読んだ。
小一時間ほど、この話のよさを書き上げてみようと思ってみたのだけど全くうまくいかない。
反則だけど、ひとまず
この本のよさをまるっとまとめたような作者のあとがきを写経して寝ることにする。


わたしは死んだ事がないので、死が最悪の不幸であるかどうかはわかりません。
他者になった事もないから、すべての命の尊さだの素晴らしさだのも、厳密にはわからないままかも知れません。
そのせいか、時に「誰もかれも」の「死」の数で悲劇の重さを量らねばならぬ「戦災もの」を、どうもうまく理解出来ていない気がします。
そこで、この作品では、戦時の生活がだらだら続く様子を描く事にしました。
そしてまず、そこにだって幾つも転がっていた筈の「誰か」の「生」の悲しみやきらめきを知ろうとしました。
呉市は今も昔も、勇ましさとたおやかさを併せ持つ不思議な都市です。
わたしにとっては母の故郷です。わたしに繋がる人々が呉で何かを願い、失い、敗戦を迎え、
その二三年後にわたしと出会ったのかは、その幾人かが亡くなってしまった今となっては確かめようもありません。
だから、この作品は解釈のひとつにすぎません。
ただ出会えたかれらの朗らかで穏やかな「生」の「記憶」を拠り所に、描き続けました。
正直、描き終えられるとは思いませんでした。
幾つもの導いてくれる魂に出会えた事。
平成十八年から二一年の「漫画アクション」に、昭和十八年から二一年のちいさな物語の居場所があった事。
のうのうと利き手で漫画を描ける平和。
そして今、ここまで見届けてくれる貴方が居るという事。
すべては奇蹟であると思います。
有難うございました。

二○○九年二月 花粉の朝に こうの史代










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