かなしいうわさ
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2006年09月28日(木)

野球ファン必携のド名著「おしゃれ野球批評」の、えのきどいちろうさんの文章を引用します。


 東京でファイターズファンを名乗ることは、ずっと何というかビミョーな問題だった。僕は理由がハッキリ言える他球団をうらやましく思ったことがある。 「西部沿線住民だから、埼玉県民だから西武ファン」、「千葉県民だからロッテファン」、「近鉄沿線だから、反体制的で豪快なのが好きだから近鉄ファン」「神戸市民だから、クールな持ち味が好きだからオリックスファン」、「福岡県民だから、九州人だからダイエーファン」。ファイターズには足場になる特定のエリアも、色づけされたイメージもなかった。僕はこれまでずっと「何で日ハムファンなの?」と訊かれてきたような気がする。東京には全国区の巨人があって、非主流派にはヤクルトもある。どうもファイターズファンであることには、特別の理由が必要らしかった。

 あんまりしょっちゅう訊かれるので、何通りか答えを用意するようになった。一番簡単なやつは「ま、判官びいきですね」。エピソードのひとつも言わないと相手が納得してくれなさそうなときは「中学生のとき、突然、日本ハムって球団ができたんですよ。日本と重くきて、下がハムです。普通、日本と来たら航空とか鋼管とか、下も重くするでしょう。それがハム。語感が超ウケて、クラスでギャグとして言ってたんですよ。そうしたら言った手前、何となく新聞で気にするようになって選手を憶えちゃったんです」。 まぁ、どっちもウソじゃないのだけど、本当のことを言うとビミョーさに魅かれたのであった。僕は思春期の中学生で、そういうことに敏感だった。ハッキリした色、ハッキリした価値ではない、あいまいなたたずまい。自分が目をつけなければ、皆、見逃してしまいそうな中間的価値が、あっぱれ堂々と12球団のひとつとしてプロ野球をやっている。風流というのも違う。マイナーというだけのものでもない。弱小球団だが、不思議とアクの強いマイナー主義の匂いがない。とにかく気がよくて、のんびりしている。

 僕のような東京のファイターズファンは、こういうニュアンスを愛したのだと思う。ハッキリした色合いは、むしろ野暮ったかった。それは煎じ詰めると、自分に似ているような気がしたのだと思う。いつか念願叶って、そんなビミョーであいまいな価値が、天下晴れて日本一に輝くのを夢見ていた。「大きな顔をしてるの」や「アクの強いの」や「ずるく立ちまわって策略ばかりめぐらしてるの」を打ち負かして、何とファイターズが優勝するのだ。




するのだ、



するのだ!





後楽園球場のころは、観客より選手のほうが多いんじゃねえの?てな事も多かったんだよ。あんまり客がいねえんで肉屋でタダ券配ってたんだ。そのタダ券もって自転車乗っていそいそと後楽園に通ってた。セリーグの各球団は選手別応援歌をバッチリ作ってホーン入りで盛大に応援していたのに、ハムは5人くらいで笛で応援していたんだ。ピッピッピーて。ひとりで外野で応援している小学生の俺を援団のひとは本当によくしてくれた。フランクフルトやジュースをおごってくれたりしたね。この回に点が入ったらメガホンあげるよ〜、つって何度もメガホン貰った。帽子も貰ったな。


でも、子供ながら、「この球団は俺が死ぬまで優勝しねえんだろうなあ」 って思ってたんだ。



ハムファンだと公言して何度も何度も哂われたよ。
おかげさんで忍耐強くなれたよ、
どーもありがとう、
ざまあみろ。





日本ハムのウイニーとシャウエッセンとモーニングサーブを焼きました。
喰いながらひとり祝杯をあげます。




ありがとうありがとうありがとうありがとうありがとう










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