2018年08月27日(月)
なにかの予兆とかは信じてない
んだよ本当に。

きのうの夜、風呂に入るときになにか考え事をしていて
なにを考えてたかも忘れたんだけど
「ま、そういうふうにできてるんだよなー」
と思って。自分の中でその言葉を発したとき
そういうふうにできている、
これって、さくらももこのエッセイのタイトルにあったな
持ってたよなたぶん
何冊も持ってたじゃん
富士山とかも
少しずつだけど全部ブックオフに売ってしまったな
あんなに何冊も読んだのに内容ほぼ思い出せない
なんてバカな頭なんだろう
と、シャンプーしながらボヤボヤ考えてた。

今夜は早めに帰宅していた
雷がすごくて、停電するかもと思うと風呂にも入れず
ご飯も落ち着いて食べられる気がせず
おろおろとスマホで雨雲レーダー見たりしてて
実際2分くらい停電した瞬間もあった。

19時30分、ツイッター見てたら
さくらももこの訃報が流れてきた。

心臓がびくんとはねた
さっきから雷の音でなんども驚かされているのに、また。

なんで。え。病気だったっけ。だって何歳よ。

追いつかない頭に、指先を滑らせるだけで情報は流れ込んでくる
乳がんだったんだって。53歳だって。
亡くなったのは15日だったって。

藤子先生より早いよ。53歳なんて。

何歳まで生きたら偉いとかじゃないけどさ。
私が「りぼんっ子」だったのも、
ちびまる子ちゃんが載ってたからだし
初めて自分で欲しくなった漫画もちびまる子だし
アニメも見た、映画も見た
誕生日にもファミコンのカセットとか
人形で遊べるセットとか、まる子の買ってもらったよ

母はよく私を見て「まる子に似てる」と言う。
私は人を笑わせるような元気な子どもじゃなかったけど
小さくて、絵を描くのが好きで、空想が好きで、
生意気で、負けず嫌いで、年寄みたいな口の利き方をするから
似てたんだよね。
似てるっていうか、影響されて、真似してたんだよね。
富士山の見える町で育ったことも、同じだった。

私がエッセイを読んでたのも、大学生くらいまでかな
会社をやめて漫画家になったり
作詞したり脚本書いたり、雑誌編集したり
多才なさくらももこは憧れだった。

憧れのひとは、亡くなってもずっと憧れだし
原作者がいなくなっても、プロダクションは
アニメを作り続けてくれるだろうし

それでも、やっぱり、さみしいよ

まる子だけじゃなくて、
野口さんや永沢や藤木にも共感してたし。
コジコジにも。


まる子が、これからもいろんな人の手で命を吹き込まれて
茶の間に笑いを届け続けられますように




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