脱線。(『模倣犯』) |
2002年04月26日(金) |
約2週間かけて『模倣犯』を読了した。
物語は、場面によって描き方が 「加害者側」「被害者側」「捜査側」… とういうふうに変わっていって。 いろんな立場の人々の心情が、理解し易く描かれていた。 これはきっと、宮部さんが上手いのだと思う。 以前に彼女の作品を読んだ時も、そう思った。
加害者である「ピース」への第一印象は「ヨハン」だった。 ヨハンとは、浦沢直樹の『MONSTER』に出てくる青年である。 ピースとヨハンは似ていると感じたのだ。 二人とも自分を特別な存在だと思っている。 周りの人間を見下している。 「悪」というものに取り憑かれている。 人を殺しても平気な顔をしていられる。
だが、読み進めていくうち、ピースへの印象は変わった。 彼はヨハンのような「モンスター」ではなかった。 彼は「人間」だった。 取り乱し、叫び、取り繕う。 結果、自らの手でその「ガキ」としか言いようのない 印象を、私にも与えることとなったのである。
彼の求めた「悪」など、所詮は幻だった。 悪はいつでも、自分の中にあるのだ。 大衆が悪を求めたからといって、提示できるものではない。 有馬義男の言う通りなのだ。
有馬の言葉には、いくつか考えさせられるとこがあった。 「自分のことを分析したっていいことはない」 「後で思い返してみれば嘘の様に聞こえることでも、口に出した時は本当だったのかもしれないよ。時が経てば考えは変わるから。」 同じ様な犯罪被害者である少年・真一に向けた言葉だ。 身につまされた。 分析したり、後々から思い直したり、 そしてそれを口にすることは、言い訳なのだ。 私もそれをよくするから、わかる。 少しは省みているんだと言わなければならない気がして。 そうしないと、過去と今の自分を保っていられない。
この日記など、その最たるものだ。
本の内容に戻ろう。
この本の素晴らしいところは、遺族の心理描写だ。 それは被害者の遺族はもちろん、加害者の家族も。 両者の立場は大きく違うが、共につらい。 悲しみは更なる悲しみを呼び起こし、 かと言って忘れることなどない。 忘れてしまうこともまた、彼らにとっては悲しみなのだ。 読んでいて、ただどうしようもなくて。 現実で起こっている犯罪を耳にする度、 そういう方々のことを思い、つらい気持ちになる。 周りの人間は、そっと見守ってあげるのが一番なのかもしれない。 そして、時には手を差延べ、供に戦う。
大長編だったので、読後疲労もあったが読んで良かった。 やっぱり宮部さんは、描き方が上手い。 一気に読み終えたくなる気持ちを生むのは凄いこと。
映画化の際には、大胆な脚色が行われるとか。 あれだけの作品を2時間程度にまとめるなど無理な事なので、良いアレンジが成されていることを期待する。 でも劇場まで観に行くかなぁ。 まだ「観に行きてー!」という衝動はないんだけれど。
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