ライブ映像。

2002年02月23日(土)
 ライブでの空気はあの日のものでしかなくて、例えどんな
 カッコイイ映像でも忠実な再現にはならないのだけど。

…と言ったのは水曜日の私。

この一文を書く時、実は私の中で様々な想いが交錯していた。

我ながら酷なこと言いやがる。

忠実な再現にはなり得なくともライブ映像には様々な意味があるのに。
良いライブを形として残しておく為であるとか、ライブを観た事のない人に行きたいと思ってもらう為であるとか。

それらの意味を成す映像をつくる事は、とても難しい。
どうしたら、そのライブを一番良い状態で映像に残せるか。
それには表現の工夫が必要なんだ。
躍動感や息遣い、そういう臨場感を「再現にはなり得ない」映像で「伝える」のは、とても力量の要ることなんだ。

つくり手の意識がなくてはいけない。
つくり手の意識が入りすぎてもいけない。

私はGRAPEVINEのライブ映像を見て、あの日の興奮をよみがえらせる事が出来た。
それはつまり、つくり手の想いが伝わったという事だ。
彼らのライブを多くの人に届けたい。

そう思って働く人が彼らの周りにたくさんいる。
その人達がいるから私たち、多くの彼らの音楽を好きな人間に、今日も彼らの音楽が届くのだ。

そんなことを思いながら音楽を聴く(あるいは映像を見る)のは、もしかするとあまり良い見方ではないのかもしれない。

でも考えちゃうもんは、しかたない。
彼らと、それを支える人がいて、なんつーか幸せ…っていうか、良かった…とか思うわけでして。
特に映像で伝えるっていうのは音楽にとっては必要だ、と私は思うし。でもそれには、いろんな人の手が必要なんだ。

なんかそういうの言いたかった。
言い足りないような気もするし、言い過ぎたような気もするが。

私は音楽が好きだし、映像も好きだし、それを伝えようとする人たちを尊敬できる。とても。






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