新知庵亭日乗
荷風翁に倣い日々の想いを正直に・・・

2003年03月19日(水) 疑ひの雲なき空や如月の〜

能 東北(とうぼく)
関東から京都へ上った旅僧が東北院の、和泉式部の住居跡を訪れ、折から花盛りの一本の梅の木に感じ入っていると、美しい里女が来て「この梅は今、和泉式部・好文木・鶯宿梅などと呼ばれているが、ここが上東門院の御所の頃、和泉式部が植えた“軒端の梅”だ」と謂われを語る。そして花も昔の主、和泉式部を慕い年々色香も増して咲き続けていると言う。僧が感心すると、自分こそこの梅の主、和泉式部だと花の蔭に消える。
 僧は門前の人から式部の話を聞き、よもすがら読経していると、式部ノ霊が在りし日の美しい上臈姿で現れ、昔、門前に車で通り掛かった御堂関白藤原道長が、車中で法華経を誦しておられた声を聞いて「門のほか法の車の音聞けば、われも火宅を出でにけるかな」と詠んだことが思い出されると言い、その功徳で火宅の苦しみを逃れ、歌舞の菩薩となったと語り、和歌の徳や東北院の霊地を讃え、美しい舞を舞う。


梅が香に おどろかれつつ 春の夜の 闇こそ人は あくがらしけれ

[春の闇夜、梅の香にあの人の衣の香りかと驚いてしまった。春の夜の闇こそ、人の心を魅入らせてしまう。]

この歌は、多くの恋に生きた和泉式部の歌。さすがだ!

正風(しょうふう)の 三尊みたり 梅の宿 (小林一茶)

一茶(当時33歳)は,寛政7年(1795)1月16日松山に来遊、 松山の豪商百済(くだら)魚文(当時51歳)を訪問,その邸内で素堂,芭蕉,其角の 三大宗匠の三幅対の「俳諧三尊画賛」を観て感激し,この句を詠んだ。
 
けしからぬ 桐の落葉や 笙の声 其角 (笙の画)


ちるはなや 鳥も驚く 琴の塵 芭蕉 (琴の画)

 琴の塵:妙音で梁上の塵が舞うという故事にならう。


青海や 太鼓ゆるみて 春の声 素堂 (太鼓の画)




これも筑波大学付属盲学校の吉澤先生に教わった、「ゆき」「残月」などで著名な峰崎勾当の曲、「梅の月」の歌詞。
http://members.jcom.home.ne.jp/wj2m-nrmt/public_html/diary/nikki.html
峰崎勾当(みねざき こうとう)
生没年不詳。豊賀検校に師事。大阪で活動。天明五年(一七八五)に没した師の追善曲として地唄端唄「袖香炉」を作曲。享和元年(一八〇一)「新大成糸のしらべ」の編集に携わった。作品はこのほか、端唄「雪」「こすのと」、手事物「吾妻獅子」「越後獅子」「残月」などがある。


疑ひの雲なき空や如月の
その夕影に折りつる袖も 紅ひ匂ふ梅の花笠
在りとやここに鶯の 鳴く音折り知る羽風に
はらりほろりと降るは 涙か花か
花を散らすは嵐の咎よ いや、あだしのの鐘の声
  
   遠い記憶の中、冷えた手をとって 暖めようとしていた
 ・・・鶯はこんな綺麗な月夜なのに寝てるのかしら・・・
  いや・・・君の移り香に嫉妬してどこかに隠れて見てるんだよ
         風・・・荒荒しいのは・・・嫌い・・・
           桜が散るのはもっと嫌だ
        ・・・そう・・・散ったの・・・
         
           月天がじっと見てるよ
          ・・・いつから・・・
           古(いにしえ)の昔から
      ・・・私・・・胡蝶になるの・・・鐘が鳴ったら・・・
    丑寅勤行の鐘だ そう今日は君の三回忌だものね
                          Shinchanの詞





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