新知庵亭日乗
荷風翁に倣い日々の想いを正直に・・・

2002年12月05日(木) 間奏曲赤とんぼと蛍、日中友好の掛け橋

 「赤とんぼ」と「蛍」が日中友好の掛け橋になったお話です。

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1 夕焼(ゆうや)け 小焼(こや)けの 赤(あか)とんぼ
負(お)われて 見(み)たのは いつの日(ひ)か
 
2 山(やま)の 畑(はたけ)の 桑(くわ)の実(み)を
小籠(こかご)に 摘(つ)んだは まぼろしか

  3 十五(じゅうご)で 姐(ねえ)やは 嫁(よめ)に行(ゆ)き
お里(さと)の たよりも 絶(た)えはてた
 
4 夕焼け 小焼けの 赤とんぼ
とまって いるよ さおの先(さき)





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今日の間奏曲は「あかとんぼ」でShinchanは'74年に中国の北京に行きました、未だ文化大革命の時代だったと思います、日本は箏や尺八、笛、そして鼓、太鼓で演奏しました、中国は中央民族管弦楽団が交響詩「黄河」でした、最後にあかとんぼを演奏した時ある偉い政治家風のおじさんが「今の曲には革命精神が感じられませんねー」なんて言われて、一同???
よく見ると中国の音楽家が恥ずかしそうにうつむいていました。

その時指揮者とオーケストラとソプラノの歌手がお返しにと言って、清少納言、『枕草子』第一段の一節を演奏しました。歌は日本語でした。
夏は 夜
月のころは さらなり
闇もなほ 
蛍のおほく飛びちがひたる
また ただ一つ二つなど
ほのかにうち光りて行くも をかし
雨など降るも をかし

きっと芸術家として又儒教精神の国として、その政治家の言った言葉に耐えられなかったのでしょうねー、Shinchanや仲間、中国のメンバーは滂沱とて落ちる涙を堪える事が出来ませんでした。

 それから随分経ってからShinchanは日本、中国、韓国の伝統楽器で編成されたオーケストラアジアに参加して、中国のメンバーと再開したのでした。


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