新知庵亭日乗
荷風翁に倣い日々の想いを正直に・・・

2002年12月01日(日) Shinchanの恐怖


 Shinchanは幼稚園から小学校に上がる前、大阪の大学病院へ両親と一緒に診察を受けるため行きました。絵を見てこれは何?「・・ペシュ・・」「・・・カエリュ・・」「・・ニャーコ・・」などお医者さんが色々テストします。
 Shinchanの症状は幼稚園に行って、皆で体操する時、機嫌がよければしますが、何か気に入らない事があるとピアノを開けて覚えた曲をずーと弾いていたり、鍵盤を叩いたり、その時は凄くうるさいのです。お絵描きをするとお友達が吃驚します、白髪先生のように足で描こうとするのですから、そしてそれを先生に注意されると、砂場にかってに行って、足で掘ったり、砂に何かを描くのです。











白髪画伯の作品







↑メッセージがあるよ、クリック


 ようするに集団生活が出来るか出来ないかが、一般の学校に行くか、養護学校に行くかの判断材料なのです。

※今のShinchanがお母さんに聞いたところ、当時は自閉症という言葉がなく、軽度の知的傷害だと診断されたということでした。今だとアスペルガー症候群や高機能自閉症などと定義されるのでしょうが、1959年当時では知的障害児の範疇に入れられたそうです。

高機能自閉症・アスペルガー症候群の理解と援助
大妻女子大学・よこはま発達クリニック 内山 登紀夫氏のサイト
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/atoz3/ask/utiyama/

 Shinchanのお家からけっこう離れた所に、ある大学の精神科の専門病棟がありました、近所の人達や子供達は脳病院と言っていました、そこを通るとうめき声や叫ぶ声が聞こえたりします。
「Shinchanはあそこの脳病院に行ったらええんやー!」とか大人の人に、いたずらをして叱られる言葉に「そんなんばっかりしてたら、脳病院にいれるで!」と言われました。
 Shinchanが時々、今で言うところの「ひきこもり」をするのはそういう罵声を浴びせられた時です。犬のペスがチャゥ、チャウと吠えてくれました。
「・・・しんたん・・・のう・・・いん・・・行く?」
 実はお母さんは、親戚や幼稚園の父母から・・・あんたの育て方が悪いから・・・と言われていたのです、でもShinchanが始めて聞いたピアノ曲をすぐそっくりそのまま弾ける(勿論手が小さいので正確にそのままという事ではありません)事や独逸語で音階を覚えているという音楽の才能を伸ばそうと思ったので「Shinchanはそんな病院に行かへんよ、字も書けるようになるし、もっとお話も出来るように必ずなるって、そんな事言われても友達と喧嘩したらあかんよ」と泣きながら抱きしめて言うのでした。


 お父さんは悩みました、もし自分の教えている小学校に入れると、PTAから何を言われるか解りません、当時の養護学校は色々な症状に分けて専門的に療育するという概念や施設が乏しかったのです。結局お父さんの先輩で別の小学校で教頭先生をしているYさんが、「俺が責任持つから」という事で、普通科に受け入れてもらえる事になりました。

昔の小学校の廊下


 Shinchanにとって良かったのは幼稚園から小学校に上がる友達がそのまま一緒のクラスになった事です、Shinchanの事を解ってくれている友達がいたおかげで良くも悪くも、傍若無人が始まるのです。


あたらしい自閉症の手引き
http://mail.nucl.nagoya-u.ac.jp/%7Etaco/aut-soc/rainman/


 < 過去  INDEX  未来 >


Shinchandazo [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加