おっちゃんはお母さんの2歳上の兄にあたる。まだギリギリ40代。 白髪が多くてもちろん「兄ちゃん」とは呼べず、 でも言動が若いので、なんとなく「おじちゃん」とも呼べず、 ずっと「おっちゃん」と呼んでいた。 久留米の東、田主丸町で電器屋さんをやっていた。 お母さんの方の親族の電気関係の工事は、 どんなに遠くても全部おっちゃんがやってくれた。 おっちゃんのおかげで、うちにコードレスの留守電という、 当時ではめずらしい物がついたし、BSも見られるようになった。 あたしが小さい時、欲しかったけどお父さんに欲しいって言えなかった電子手帳を、 こっそりおっちゃんに相談して、持ってきてもらったりもした。 あたしが一人暮らしを始めるにあたっての家電はもちろんおっちゃんにおまかせ。 しかも、軽トラックで引っ越しの手伝いもしてくれて、 家具を運んで、テレビの設定もして、 エアコンのフィルターを掃除して帰ってった。 お正月にはじーちゃんの家で顔を合わせるのが常だった。 おっちゃんがあたしを見ると言う言葉は、 「進級できると?」「彼氏できたと?」「コウヘイ(息子)に数学教えてよ」だった。
水曜日の夕方、お父さんから電話があった。 「田主丸のおじちゃんが亡くなったんだって…」 「はぁ!?ほんとに!?なんで!?」 あまりにも突然だった。
葬儀で、おっちゃんが入ってた商工会の人が弔辞で言ってた。 「地域に密着したお店で、とても評判がよかった… 商工会の中でも若手で、将来の活躍を期待していた。なのに…」 評判がいいのは、お世辞なしでそうらしい。 確かに、ちいさい電器屋さんだけど、約20年はやってるしね。 それだけ続けられるのは地域での評判がいいってことでしょう。 参列した人たち、口々に「信じられない…」と言っていた。
おばちゃんといとこたちが焼香しているのを見ていたら、思わず涙が出た。 長男のセイキくんは自閉症がちょっとずつ回復してるところ。 次男のコウヘイくんは高専1年生。おっちゃんと同じ道に進むって言ってた。 親戚みんなで3人を応援していかないと、と思った。
おばちゃんと同じくらい驚き、悲しんでいるのは、じーちゃんだと思う。 息子の葬儀に参列するなんて、思ってもみなかっただろう。 じーちゃんの背中がますます小さく見えた。
葬儀が終わって、あたしと弟はお父さんに言われた。 「俺より先に死ぬなよ」 「うん」としか言えなかった。 帰る時に、おばちゃんに言われた。 「あなたはがんばらないとダメよ。若いんだから、ね!」 「はい」としか言えなかった。
おっちゃんの死因はまだ聞いていない。 これだけ明らかになっていないということは、言いにくいのかもしれない。 おばちゃんの言葉もそうだし、もしかしたらもしかするのかもしれない。 信じたくないけど。
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