Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2004年06月20日(日) 好戦的な人

世の中は、一体どのような人の意志で動いていくのだろうか。すべての人の意思を平均しているのだろうか。いや、そうではないだろう。

世の中には多くの人がいて、そのほとんどの人は争い事が嫌いだろう。争い事が何も生まないことは、考えれば分かることだし、経験的にも知られている。しかし、それでも争い事はなくならないし、人類の歴史から戦争の文字が消えたことはない。それはなぜなのだろう。

それは、争いごとを嫌う人と争いごとを好む人がいた場合、争いごとを好む人の意見が通ってしまうからではないかと、思った。争いごとを嫌う人は、無理をして自分の意見を通そうとは思わないはずだ。結果として声の大きい人の意見が通り、全体として争い事を好む人が望む方向へ流れるのではないだろうか。

だから、世の中はなるようになる、と考えるのは間違っている。少数の強い意見を言える人の意志に、その他大勢の人が従うことになるのだ。そして、人の意見を排除してまで自分の意志を通そうとする人は、多かれ少なかれ好戦的であり、勝つことが好きだろう。勝つことが好きな人の周りは、その人に負けた人がたくさん現れることだろう。争いごとを好まない人が無理に勝つ必要はないが、争いごとを好む人に勝たせないようにする必要はある。そうしなければ、本来失わずに済んだ多くのものを失うことになりかねないからだ。誰もが多くを望まないのなら、みんなある程度幸せに暮らすことができるのかもしれない。しかし、幸か不幸か人間はそうではない。だから、限度を越えた欲望は止めなければならないのだ。とは言え、そのために自分まで欲望に駆られて、その限度を越えた欲望と争う必要はないが。資本主義の考え方のように、とにかくできる限りお金をもうけるなんてことを考える必要はないだろう。必要なだけを確保していけばよく、その必要なだけを確保できなくなるような障害があった場合には、それを止めればいいのではないか。

今の世の中は、少数の好戦的な人が平穏を乱しているのではないか。そう思う。


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