4月締め切りの履修申請をようやく書き終わった。まだ教授と助教授の印鑑をもらっていないのだが。やれやれ。
自分は、自分のことをどれだけ知っているんだろう。自分が冷静であること、落ち着いていること、そんなこと、分かる人間がいるんだろうか。僕は、先週がゴールデンウィークで、今週が学会のため、2週続けて研究の資料をまとめる必要がなかった。そして、履修申請の特別研究計画書を書こうとして、ようやく自分の研究を客観的に見ることができた。これまで、ほかの人から自分の研究がどう見えるかなんて、考えても分からなかったのだ。しかし、しばらく考えを離していたおかげで、ようやく見えるようになった。やはり、毎週のように研究の成果を発表するなんて間違っているんだ。順調に進んでいればいいのかもしれないが、やがては周りが見えなくなってくる。自分には分かっていても、他の誰にも分からないものを作り出す。
昨日は、僕の尊敬する人からの電話を取り逃がしてしまった。でも、今日の昼に電話をかけたら、ちゃんと話をすることができた。これまでインターネットがあったために、電話で直接会話することはほとんどなかった。しかし、今はその人の家にインターネットの環境がない。だから、電話をかけてきてくれるのだ。そう、その人の影響で僕は、深く考えもせずに大学院に進学なんてしてしまったのだ。僕は、将来のビジョンが見えていないわけではない。もちろん、はっきり見えているわけでもないが、自分の進むべき道についてはある程度決まっている。優れた人材になりたいわけでも、エリートになりたいわけでもない。ごく普通に、おだやかに過ごしていければそれでいい。多くを望むつもりなんてないのだ。それならば、大学院になんて来るべきではなかった。ただ、その人に対する憧れだけで、その人と同じ道を歩んでしまったのだ。得られたのは、膨大な出費を引き換えにした、制約された自由。時間的な余裕はあるが、常に成果を迫られ制約されつづけている。それも、僕一人で、だ。社会ならば、成果が出なければただではすまない。だから、常に自分ひとりに責任がかかりつづけることはないだろう。まともに向かい合うつもりなんてないんだから、軽く受け流せる柔軟な心がほしい…。