Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2004年05月07日(金) 『男と女の・・・』

まずはじめに。このタイトルは、引用のそのまた引用だ。

ことの始まりはぺっぱーさんの2002年9月14日の日記だ。で、これに僕が文句を言って、そしてまたぺっぱーさんがそれについて意見を書いてくれた。いや〜、このときは、自分の日記を参照されたことなんて初めてだったものだから感動したものだ。それにしても、ぺっぱーさんの日記の中に引用されてみるとつくづく思うが、僕の文章は本当に硬い…。

ということなので、ぺっぱーさんの日記からここへ来た方は参考にしてみてください。今はそうでもないのですが、当時はやたらと長い文章を書いていたので、全部読むと疲れると思います。一応IDをつけたので、すぐ参照できると思います。…ヘボいブラウザを使っていなければ。Opera 7.23といかいうマイナーなブラウザでしか動作確認をしていませんが、たぶん大丈夫でしょう。しかし、ぺっぱーさんが日記を書かれたのは5月1日で、5月7日の今日まで気づかないとは、僕もなかなか変わったものだ。昔は毎日日記を書いて、マイエンピツもいつもチェックしていたのに。

ただ、前に書いたときと比べて、僕もずいぶん変わった気がする。ぺっぱーさん流に言えば、女性に近づいたと言うべきだろうか。あるいは、単に目的意識が希薄になったと言うべきかもしれない。前は意味もなく店をフラフラしているなんて、疲れるだけで僕にとって何の意味もなかった。しかし、最近はあまりそう感じなくなった。前ほど疲れを感じなくなってきたのだ。ただこれは、前は目に映るものに関していちいち情報処理していたのに対して、今は漫然と見過ごしているからこういうことになるのかもしれないが。なんというか、日記を書いていても、前は次々といろいろなことが思いついたものだが、最近ではそういうことがほとんどない。思考力の低下をはっきりと感じる。

ということで、ぺっぱーさんの古い日記から引用されてもらってネタにしてみようと思う。

男は「一度にひとつづつ!」しかできない

これはそのとおり。知人に、授業を聞きながらノートを取り、宿題のレポートをやって、なおかつ小説を読んですべて理解できるという女性がいるが、僕にはこれが超人的な能力に思える。授業を聞くこととノートを取ることすら同時にはできない。ノートを取っている間、先生の話は基本的に聞こえていない。

男は単刀直入

僕はそうでもない。結論の前にえんえんとしゃべりつづけることが多く、そのために結論を忘れてしまうことも珍しくない。この日記の場合は、何か言いたい結論があった場合、最初に書いてしまうことにしているが。でないと、書いているうちに欲求不満になってしまうからだ。ああ、それが単刀直入ということだろうか。ただ、これは一つ目のことと関わりがあるように思う。つまり、一度に一つずつのことしかできないから、余計なことをやっていると、肝心なことを忘れてしまうのだ。だから、いきなり重要なことを言いたくなるのだと思う。

男は間違えるのが大嫌い

これが僕には理解できない。確かに、友人・知人にはそういう男の人が非常に多い。そういう意味で、男にこういう特徴があることは否定しない。しかし、僕自身の場合、そんなことは決してない。このページも正確なHTMLを使うように心がけてはいるが、今利用しているこのリスト構造だって、間違っているのを知っていて、わざと簡略形(終了タグの省略)を使っている。面倒だからだ。ただ、この場合も、「面倒だ」という理由で、僕自身の中で正当化できているからいいのかもしれない。そういう意味では、間違えるのが大嫌いというよりも、自分の価値観に従わないのが大嫌いと言うべきかも知れない。妥協が嫌いなのだ。ちなみに僕は、物事が穏当に進むのであれば、かなりの妥協をする…はずだ。

男はストレスで黙る

ストレスがあったら余計なエネルギーを使いたくないと思うのは自然ではないだろうか。ただし、これはストレスにまじめに向き合おうとする人の場合で、ストレスから逃げたいとか忘れたいとかいう人の場合はしゃべるかもしれない。女性の場合はどうなのだろう。ストレスの内容そのものをしゃべることですっきりする人がいるかもしれない。男がそれをしないのは、おそらくプライドの問題ではないだろうか。自分がストレス状態にあるということを悟られるのが嫌なのだろう。

男は地図を回さない

これは前にも書いたとおりだ。回すと分からなくなるから回さないのだ。ちなみに、またゲームの話になるが、ラグナロクでは画面の右上に、自分の現在位置を示すミニマップが出る。これは常に北を上にしていて、自分の進行方向やカメラの向きによって変わることはない。僕はそれが使いやすいと思うのだが、女性はどうなのだろうか。今度聞いてみることにしよう。…と言っても、ネットゲームなので、女性キャラの中身が本当に女性なのかどうか、よく分からないのだが。

男にとってセックスとメイクラブは別物

さっぱり分かりません。以上。ではあまりにもいい加減なので何か書くとすると…。セックスは欲望の象徴で、メイクラブは理性の象徴で、それぞれはまったく違うんだ、と考える人が多いのかなぁ、と思ったりする。女性にとってはメイクラブも欲望の象徴なのかなぁ、なんて。…苦手だなあ。女性にとっては、相手のことで頭がいっぱいになって、理性も何もかもすっ飛んで夢の中で過ごすことが大事なのかな、と思う。男性にとっては、キスをするとか相手にどこまで触れるかとか、実際にしたことが大事で、心の中でどう思っているか、ってことは、女性ほど重要ではないのかもしれない。あとは、自分たちが世の中でどう位置付けられるかってことが大事なのかもしれない。誰から見ても幸せなカップルであることが重要なのかな、と。悪くいえば冷たくて、よく言えば理性的なんじゃないかなあ、と思ったりする。ただ、これって自分には当てはまらないからなんとも。

全体として思うことは、本来こういう問題は、性別の差よりも個人差が大きく出るはずだ。女のように考える男がいたっていいし、その逆があったっていい。それがほとんどないのは、やはり社会的な問題なのかな、と思う。男だからこうだ、女だからこうだ、というよりも、世の中全体としてこんなのが男だ、こんなのが女だって決められていて、それにみんなが合わせてるんじゃないかと。

ところで、ぺっぱーさん流男性の典型的行動をひっくり返して書くとこうなる。

「買い物に行きたいと思うんだけど」と言われて、「じゃあ、一緒についていくよ。どこに行くの?」と言う。ドライブに行って道を間違えると「間違えちゃったよ、どう行けばいいかな?」と彼女に聞く。…これってなんか、ちょっと情けない男じゃないかと思ったりするのだが。まあ、もっとも、情けないとか言いながら、全部僕に当てはまるんだけどね!(やけ気味)

こういうことって、相手に不信感を持たないうちに、理解し合わなきゃいけないんじゃないかな、と思う。理解していないと、相手のことがわからなくなって、不信感を抱いてしまうんじゃないかと思う。「なんであいつはあんなに買い物が好きなんだ?俺にはさっぱり分からん。」と。たとえ男にとって分からなくたって、女ってのはそういうもんだと知っておかなければならないだろう。逆もまたしかり。「なんであいつは新聞を読むと食事の手が止まるの?」と言ったって、そういうもんなんだから仕方がない。ちなみに、これは本人が意識しない問題だ。僕も、まったく同じように食事をしているつもりなのに、普通に食べると10分で食べ終わるものが、新聞を読みながらだと30分かかったりする。おそらく、横から見たら食べたり止まったりを繰り返しているのだと思う。僕自身にそういう感覚はないのだが。おそらく、「手が止まってるよ。」と言われなければ気づかないだろう。

物事の本質を探ること。「なぜ?どうして?」を考えること。科学において重要だと言われていることだが、むしろ、日常生活にこそ大事なことなのかもしれない。科学の世界では、つじつまさえ合っていれば、意外とこの点は通り過ぎることが多い。分かりやすい例ではファジィ理論が挙げられる。

ファジィ理論というのは、人間のあいまいな感覚を数値的に表現しようとするものだ。その方法は、メンバーシップファンクションという数式を構築することだ。その結果、「日本人の心地よいという感覚は、Aというメンバーシップファンクションで表現できる。」という結論が得られる。メンバーシップファンクションは境界を表す。この値が小さければ、「あまり心地よくない」ことを表し、値が大きければ「かなり心地よい」ことを表す。デジタル的に「ここまでが心地よい、ここから先は心地よくない」と割り切らないのだ。

で、ファジィ理論がどうして「なぜ?どうして?」を考えていないと言えるのか、だが、それは、メンバーシップファンクションの成立過程に問題がある。実は、メンバーシップファンクションはデータから構築されるものであって、「心地よい」という感覚と特に関わりがないのだ。「なぜ心地よいのか?」という疑問ではなく、「この湿度、温度、気流では、多くの人が心地よいと感じる」ということから数式を構築する。なぜその湿度、温度、気流が良いのかということは考えない。データから「この点はあまり心地よくない湿度、温度、気流である」、「この点はかなり心地よい湿度、温度、気流である」と決定し、それぞれの点を結ぶなどの方法でメンバーシップファンクションを決定する。データとして出た結果を結んだだけで、「心地よい」という感覚とは関連がない。

しかし、それでもいいのだ。なぜなら、それで多くの人が心地よいと感じる温度、湿度、気流が分かるからだ。なぜその湿度、温度、気流が良いかということは分かっていない。しかし、結果は分かる。重要なのは結果だ。科学において過程は重要だが、本質ではない。結論こそが本質である。過程は、絶対に必要なものではないのだ。もちろん、異論はあるだろうが。

科学の世界でどうあれ、日常生活で相手の心情を思いやることは必要だ。相手のことを考えず、自分の道を貫くのもいいだろう。ただし、僕はそうなりたくはないと思うし、友達になってほしいとも思わない。もしかしたら、相手は自分にとって理不尽なことを言っているかもしれない。けど、そこで考えなくてはいけない。「なぜ、こんな(自分にとって)おかしいことを言っているんだ?これにはなにか理由があるのではないか。」と。相手にストレスがたまっているのかもしれない、自分の方が間違っているのかもしれない、誤解があるのかもしれない、相手や自分に精神的な異常があるのかもしれない、価値観に相違があるのかもしれない…。考えるべきことは無数にある。人はそれぞれ、自分の価値観に従って物事を判断しているのだと、僕は思う。価値観が違えば、おのずとその結果も異なってくるものだ。


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