たとえ卒論が終わっても、結局何一つ改善されない現状。この無意味に広い研究室にただ一人であることは何ら変わりはない。新しく4年生が二人来ることになったが、いったいどれほど顔を出すことか。メッセンジャーでは好感触だったが、メッセンジャーと実際に会うのとは別世界だ。基本的に僕は、まともに顔を見て話すときよりネット上のほうが愛想がいい。そういうのが似合わない外見だから…。それはきっと僕だけじゃない。誰もが別のメディアでは別の顔を持つに違いない。
それはそれとして、この一人という状況はやはり耐えがたいものがある。覚悟して入ってきたはずだったが、時間が経てば経つほど、慣れるどころか苦痛は増していく。世の中には孤独にさいなまれて悩む人は大勢いて、そんな人と比べれば僕の置かれている現状なんてどうってことはない。家族もいるし、友達もいる。作られた偽りの世界もあって、その世界は確かに僕を受け入れてくれる。踏み出したら抜けられない麻薬のような世界だが、この世界があることで、僕は僕であることを保てる。
しかし、研究室に足を踏み入れれば、そこはただ一人の世界。たいしたことのない作業でも、一人でやるのはこの上もない苦痛だ。ただ研究室の机のサイズを測り、ただ本をスキャナにかけて取り込む。なんてことのない作業だし、僕はこのたぐいの単純作業は好きだ。なんせ日記だって、もともと文章を書きたくてやっているのではなく、キーを叩きたいだけなのだから。しかし、ひたすらそれを続けるのは苦痛でしかない。もともと、僕は一人が好きだった。家ではずっと弟と相部屋で過ごしてきたし、一人になれる空間と時間が欲しかった。しかし、1年にもわたって1日のほとんどを一人で過ごしてきて、その苦痛を思い知った。何もしないのなら問題はないのだ。ただ、何かをしようと思ったとき、一人ではなにもする気が起きないのだ。感情を高ぶらせてくれるような刺激がない。自分で何かをしない限りなんの変化も起きない部屋。それが魅力に感じたこともあった。しかし、それは苦痛だった。
プライベートで、何もすることがないのであれば、一人は落ち着くだろう。しかし、やらなければならないことがあるとき、自分を奮い立たせなければならないとき、自分でない誰かはかけがえのない力を与えてくれる。それは世の多くの人がごく自然に手に入れている力であるにもかかわらず、とても大きな力なのだと思う。
事務連絡なんてメールですればいいと思っていた。いちいち会って話すなんて面倒なだけだと思っていた。世の中、人間関係に縛られてべたべたしすぎだと思っていた。しかし、失ってみなければ気づかない。それらはとても重要なことなのだ。少なくとも社会の中で生きていくためには、無駄と感じようとも必要なのだ。広くて何もない部屋からは、何も生み出せないのだ。
人工知能の世界では、創造は環境から生まれるという考え方があるらしい。今までになかったものを作り出す。しかし、誰かが作り出す以上、どこかにその元となるものがあるはずだ。そして、それを自分が持っていないのなら、あとはその環境にあったとしか考えられないではないか。こんな、考え方だ。自分が多くのものを持っていても、周りに何もなければ、自分がさらに成長することはない。常に変化しつづける環境があってこそ、人はその環境に対応するために変化するのだ。
安定した環境もいい。心が安らぎ、落ち着く。しかしそれでは何も生み出せない。前に進みたければ、少しくらい荒れていることが必要なのだ。自分が何もしなければ何も起こらない。そんなのはもう、うんざりだ。