今日は、研究室の大掃除をしました。PCに向かっていなかったのは久しぶりです。なんだか気持ちがいいものですね。卒論が終わったら、一週間に一度くらい、ディスプレイ系統のものを見ない日があるといいのではないかと思えます。とは言っても、掃除中にPCで音楽を鳴らしたりしていて、その時にPCを操作したりしたのですけどね。それ以外にも、夜になって同級生の手伝いをしたりしたから、結構見ていたかも知れません…。というわけで、帰ったのは結構遅かったりします。
体を動かして気分は良かったですが、それだけですね…。あとは、夜に父と話をしました。かなり久しぶりのことです。父の会社は、最近新しく自社ビルを建てたそうです。そのあたりの話をいろいろと聞けました。マスメディアの事情はいろいろとおもしろいものがあります。電通の意外な過去を聞くことができたり…。
別に秘密でもなんでもないと思うので書いてしまいますが、戦前の日本には同盟通信社という通信社がありました。通信社とは、簡単に言えばマスメディアの卸業者です。彼らの記事が直接消費者に届くことはあまりありませんが、間接的に様々な新聞を通して、僕たちは通信社の記事を見ているのです。国内の記事には記者名や通信社名は載りません。もっとも、毎日新聞の場合は記者名が載っているそうですが。ところが、戦後のGHQによる統治の中で、マスメディアの戦争責任も問われる形になりました。そこで、財閥解体などと同じようなタイミングで、この同盟通信社も解体されることになったのです。…と、思って調べてみたら、どうやら責任追及を恐れて自主的に解体したというのが事実のようです。もっとも、インターネットの情報なので定かではありませんが。さらに調べてみると、ポツダム宣言の意図に反して無理矢理解体されたというような話もあるし、いろいろです。
で、その同盟通信社が分かれて、時事通信社と共同通信社の二社が設立されました。時事通信社は株式会社であり、共同通信社は多くの新聞社が加盟することによって成り立つ社団法人です。組織体系だけでなく、その目的も異なります。時事通信社は一般法人向けの情報提供をその目的としていました。その当時、情報という概念に今ほど価値はなかったと思われます。その中で情報が重要だったのは、経済に関係する企業でした。株価、相場に関連するニュースなど、一刻も早く、多くの情報を入手する必要があったのです。これは、今でも変わらないどころか、情報の重要性は増すばかりと思われますが。一方で、共同通信社は新聞社による社団法人なので、その運営も新聞社のために行われました。つまり、記事を作るのが仕事です。本来の通信社の仕事は、共同通信社が受け継いだのです。もっとも、そんなことでは時事通信社の方がつぶれてしまうので、現在では時事通信社でも記事の配信を行っています。時事通信社と共同通信社の間で決定的に異なるのは、ビジネスとして取引先に情報を提供するという立場と、自社に資金を提供する加盟社に情報を提供するという立場です。時事通信社は企業間取引を行っており、共同通信社は新聞社のコミュニティによる情報交換を行っていると言えるでしょう。もっとも、「社団法人共同通信社」には「株式会社共同通信社」という子会社が存在します。このような事情もあり、現在でははっきりした区分けはないとも言えます。
で、その二社以外にも同盟通信社から分離して現れた会社があります。それが、電通なのです。もともと電通は同盟通信社が設立される直前にくっついたようで、いわば、一度くっついたものがまた離れたと言えるでしょう。資本の割合としては、共同通信社が5に対して時事通信社が3、電通が2程度であったと言われています。これ以外にも同盟通信社から分離して現れた組織があったため、電通の資本はもっと少なかったとも考えられるでしょう。この当時、テレビはほとんどなく、ラジオを相手に活動を行っていた電通が現在のようになるとは、だれも想像できなかったのです。時事通信社は自社の関係者のみが株式を保有していましたが、電通はそれでは株がさばききれなかったのか、共同通信社と時事通信社が株を保有する形になりました。が、今では、共同通信社や時事通信社のことなんて知らなくても、電通なら知っているという人が大多数を占めるような状況になりました。時事通信社を知らなくてもおそらく問題はありませんが、電通を知らないとなると常識を疑われる可能性があります。
で、電通は数年前に株式公開を行いました。それまでは自社関係者及び、共同通信社、時事通信社で株を持っていたのですが、電通の規模から考えて、そのような状況は適切でないと考えたのでしょう。そして、商法の関連でごたごたもあったようですが、結果的に時事通信社は、公開されたあと当然のように跳ね上がった電通の株を売却し、多額の売却益を得ました。まるでインサイダー取引のような話ですが、不正に株を入手したのではなく、そもそも株式公開前から関係者だったわけです。そして、その売却益を使って銀座に本社ビルを建てました。共同通信社も汐留に新しいビルを建てたようです。おそらく同じような事情があったのではないでしょうか。
それにしても、気になる点が二点ほどあります。一点目は、共同通信社のURL…。営利団体ではないのに、なぜ"co.jp"なのでしょう?まあ、URLなんて好きに付ければいいのかも知れませんが…。二点目は、僕の日本語FEPの古さ…。汐留という文字が変換できませんでした。どうやら、僕のFEPが作られた時にはまだ、汐留はなかったようです。ちなみにFEPとは、OSとユーザとの仲立ちをしてなんらかの処理をするソフトウェアの総称のはずです。そのうち日本語FEPと言えば、入力を日本語に変換するソフトウェアを指すはずです。日本人同士でFEPと言えば日本語FEPを指すことが多いようですが、そのあたりは判然としません。
ところで、12月19日は僕の誕生日なんですね。いやはや。これで22歳ですよ。この歳になると誕生日も寂しいものですね。