Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2003年08月15日(金) 終戦の日

終戦の日。しかし、僕の生活は何ら変わりはしない。毎日毎日研究室に通って…。と思っていたのだが、この日は大雨。教授が顔を出しそうだが、まるでまとまっていない。とまあ、いろいろあって、サボってしまった。最大の目的は髪を切ることだったのだが。

昨日の日記にも書いたのだが、髪の長さはかなり異常で、まともに前が見えないほどになっていた。休みがなかったのだから、当然、髪を切る時間もない。で、そんな長さになるまで放っておく羽目になったわけだ。これは休んでも仕方あるまいと自分で勝手に決めて休むことにしたわけだ。

髪を切る前に作業をしていたのだが、驚くべきと言うべきか、やはりと言うべきか、家にいたほうが作業がはかどった。…まあ、やはりと言うべきだろう。研究室の利点は資料と性能のいいPCだけで、ほかの環境は自宅のほうが整っている。なにか食べたければだいたいなんかあるし、飲み物もすぐに用意できる。些細なことかもしれないが、結構気分は違うものだ。実際、効率がまったく違った。まあ、居心地の問題もあるかもしれないが。この研究室は外へ向いた窓がなく、いつも空気がこもっている。新しい部屋なのはいいが、妙な薬剤の匂いもする。そして、最低限のものしかない。PCと机と資料くらいだ。

一応、「行ってみないと分からない大学生活」なので記しておくが、普通の研究室は、こんなことにはなっていない。食べ物飲み物もある程度あるし、ちょっとした嗜好品くらいはそろえているのが普通だ。だが、この研究室はとにかく人がいないために、そんなものがそろってはいないのだ。しかも、僕がいるのは厳密に言えばコンピュータ室であり、そのようなものは置けないことになっているのだ。

本来の研究室には、さらに何もない。すべてこちらの部屋に運び込んでしまったからだ。こちらのほうが新しいからそれはいいのだが、もうちょっと何とかならないものだろうかと思ってしまう。まあ、いい加減な教授を選んだ自分のミスと言うことだろう。こういう納得のいかない生活を送るのもいいことかもしれない。社会に出るときにちゃんとした場所を選べば、たとえ仕事がきつくても、今までよりもずっといい環境になったと喜べるだろう。苦痛がなければ本当の幸せな気持ちは味わえないものだと思う。

今日は終戦の日か。いろいろイベントのようなことはしていたようだが、日本は何か変わったのだろうか。おそらくは変わっていまい。戦争の記憶は風化し、日に日に好戦的な人種が増えつつある。今でも、物事を乱暴に片付けようとする輩は多いのだ。殴らなければ分からないなんて言う奴はその典型だ。幸いにして、そんな奴といつも一緒に過ごす羽目に陥ったことはないが。でも、殴らなければ分からないと言うのは、裏返してみれば真理でもある。殴らなければ分からないと言う言葉の裏には、殴ってでも分からせたいという意図がある。つまり、相手の考えていることなどお構いなしに、自分の考えていることを押し付けたいのだ。この場合、論理的に正しいかどうかなどどうでもいいので、その手段としては説得よりも力が適する。

言うまでもなく、めちゃくちゃな理屈である。こんなことが通用する世の中にはなってほしくないものだ。もうすでに、なりつつある気がするのだが…。


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