Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2003年06月20日(金) 規律と自律

2003.06.20 (Fri) 20:40:20

今日、風呂に入っていてふと思った。どうやら僕は、規律が好きな人間らしい。

と言っても、規律を強制されるのが好きなのではない。規律を守るのが好きなのだ。だいたい、厳格型のHTMLの書式にのっとった文書を作ったからって、それで嬉しいだなんて感じる人間は、そう多くはないだろう。

これは、自律なのだろうか。それとも、他人が決めたルールに従っているだけなのだろうか。ルールを自分で選び取っていれば自律ということになるのだろうか。

もしそうでないなら、本当の意味での自律はあり得ない。少なくとも、今の日本の社会では、「マナー」、「法律」、「暗黙の了解」などなど、様々な規律がある。これは、特定の個人の思想や信条によったものではない。精神がおかしくなっていない限り、どのような人であれ、多かれ少なかれ、このような社会の規律に従っていることだろう。このような規律に従うことが自律でないなら、真に自律している人間は存在し得ない。

規律があふれた今の社会では、自分により適した規律を選ぶことが、賢明に生きる道なのかも知れない。自分なりのルールを自らに築くこと。もしかしたら、それがアイデンティティーと呼ばれるものになるのかも知れない。ルールがアイデンティティーだ、などと言うと、まるで人間がプロダクションシステムのような単純なシステムのように思えてしまうが。

ちなみにプロダクションシステムとは、条件文と、その条件に対する分岐のみで構成されたルールをあつめて知識表現を行う仕組みのことだ。たとえば、

  • グーはチョキに勝つ。

  • チョキはパーに勝つ。

  • パーはグーに勝つ。

  • 同じだったら引き分け。

このような4つのルールがあったとする。ここに、Aはグーを出した、Bはチョキを出した、という事象を放り込むと、BはAに勝つ、という結論が得られる。このように、ルールの集合で知識を表現しようとするものだ。

ああ、眠い…。さすがに徹夜じゃなあ…。

もしかしたら、人間は案外単純な機械なのかも知れない。極めて単純な動作をする脳神経細胞が多数集まって、複雑な処理をしているように見せかけているだけかも知れない。だとすれば、人間はいずれ、人間を作り出せるかも知れないのだが…。どうなのだろうか。

ところで今日は、2限の講義を受けた後、しばらく友達としゃべって、バイトの面接を受けた。まあ、採用されることは決まっていたようなので、軽く説明を受けただけだったが。大きくてきれいなビルだった。仕事は要するに雑用らしい。ただ、その業種の性質上、守秘義務がかなり強調されていて、例えばこの日記上にその企業名を書いたりすることも許されていない。書いたところでどうなるわけでもないと思うのだが。

2003.06.20 (Fri) 20:58:39


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