2002/10/23 21:20 Access: 3553 8,107字 232分 (3時間52分) 1985年8月12日午後7時頃、 長野と群馬の県境で、日本航空の旅客機が 御巣鷹山に墜落するという事故が起きた。 乗客乗員、合わせて524名が乗っており、 生存者はたったの4名という大惨事だ。 ちなみに、生存者数については手元に資料があるわけではないので 定かではない。
この事故は、水平尾翼が垂直尾翼か、 どちらかは失念したが、とにかくどちらかの尾翼が 3分の2ほど失われ、機体のコントロールを失って 墜落したと言われる事故で、 その詳細は未だに明らかになっていない。 ところが、友人が言うには、 この事件の真相は以下のようなものなのだそうだ。
そもそもの発端は、 米軍と自衛隊が、共同で新兵器を開発していたことに始まる。 この時点ですでに怪しい気配がするのだが、 とにかく、そういう事実があったらしい。 本当かどうか、証明する資料は今のところないはずだが。
新兵器とは、Tomahawk Missileの前身である、 無人飛行機Fire Beeと、ステルス戦闘機だそうだ。 Fire Beeは偵察飛行を任務とする無人偵察機だったらしい。
偵察機があらかじめ偵察する相手から その存在を知られているなんてそんな馬鹿馬鹿しいことはないので、 そのFire Beeは、日本航空123便をその対象と定め、 試験飛行を行っていた。 ところがその試験飛行に失敗し、あろう事か Fire Beeはその123便の尾翼に激突してしまった。
異常に気づいたパイロットは、 すぐに管制に連絡を入れた。 飛行自体はかろうじて可能な状態だったので、 とにかく近い空港に下りようとしたのだ。 しかし、事態が事態なので、問題解決のために 自衛隊が現れたのだそうだ。
ここから先、話がよくつかめなかったのだが、 とにかく、緊急事態なので横田基地に着陸しようとしたらしい。 しかし、飛行機を調べれば、尾翼がどういう原因で 破損したのかということはすぐに分かる。 そこで自衛隊は、そのまま123便を先導し、 御巣鷹山まで来たところで、そのステルス戦闘機と 新型ミサイルのテストを兼ねて、 その123便をその場で撃墜してしまったらしい。
民間の航空機を撃墜してしまうなんて 信じられない話だが、 物証も状況証拠も、ある程度そろっているらしい。 Fire Beeの写った写真もあるらしい。 事実かどうかは知らないが、 少なくとも、このような話が存在するというだけでも、 自衛隊や米軍に対する不信の度合いが読みとれるというものだ。
ということで、大学生活とはほとんど関係ないが、 たまには意外な切り口から書いてみようと思って こんなテーマにしてみた。 …というよりも、書きたいことをとっとと書いてしまわないと、 あとからどんどん忘れてしまうからなのだが。
風呂に入っていて、ふと思った。 他の企業は知らないが、 物流関係の企業ならば、 新人がStrategic Levelの企画立案をし、 中堅社員がTactical Levelの計画を、 そして、上位の経営者がOperational Levelの仕事をした方が いいのではないだろうか?
と言うのも、いくら理屈をこねても、 特に日本の場合は、現場の現実というのが ついてこない業種だからだ。 となると、重要なのは壮大な視点よりもむしろ、 現場を動かすことだろう。 重要な計画は一番下から順々に持ち上げ、 細かい仕事はその場で決定してしまえばいいだろう。 理想を言うのは若手に任せ、 経験を積んだプロが、その計画を現実に適用するようにすれば よいのではないだろうか。
まず、若手が理想と理論で将来像を組み上げる。 この時点では、現実離れしたただの夢でも問題はない。 それに対して、管理職が現実への適用を図る。 そして、会社をもっともよく知る経営者が、 その計画の細部を詰めるのだ。 崩れつつあることは確かだが、それでも終身雇用を維持してきた この日本なら、上下を逆転させても人材は足りるはずだ。 もちろん、経営者は仕事が些細なだけで、 現場で身体を動かすのはアルバイトなり派遣社員なりにやらせればいい。
今日は、PHSから送ってきたテーマが3つある。 どれもたいしたことではないが、 この日記自体がたいしたものではないので、 気にしないことにする。
1つ目は、うちの小さな庭に咲いているアサガオ。 アサガオというのは一般に、初夏の朝に咲く花だ。 どんなに遅くても、正午頃には花が見られなくなる。 ところが、我が家の庭では、この時期にアサガオが咲いている。 これはいったいどういうことなのだろうか。
そこで思ったのが、街灯。 我が家の近くにある街灯は、 カーテンを開けておくとまぶしくて寝られないくらい強い光を放つ。 エネルギーの無駄遣いではないかと思うが、 そんなことはこの際どうでもいいとして、 これが原因で、アサガオがこんな時期に咲いたのではないかと思ったのだ。
よく知られているように、アサガオが咲く季節は、 1年で一番日の長い季節だ。 ちょうど夏至の頃のはずだ。 だが、街灯で夜、ずっと照らされているので、 確かに日の光と比べれば遥かに暗いが、 それでも、我が家の庭は24時間何らかの光を浴びている。 これが原因で、こんな季節にアサガオが咲いたのではなかろうか。 まあ、アサガオのことはよく分からないが、 寝られないほどまぶしい街灯なんてやめて欲しいものだ。
2つ目の話の前に、臓器移植。 昨日の日記に臓器移植のことを書いた。 ぺっぱーさんによると、 極端なことを言えば、ドナーは人間として扱われない、 という状況らしい。
しかし、僕はそれでも構わないと思う。 脳死状態になってしまったら、あとはもう、 煮るなり焼くなり好きにしてくれ、と思ってしまう。 死んでしまえば、いや、死ななくても、 人間の身体なんてただの肉と骨の固まりだ。 人間の存在に目的などないだろう。 ただ、偶然に生命が発生し、 その中の生命がたまたまこういう文章を書いたりする 性質を持ち合わせたに過ぎない。 だから、人間も1つのシステムであり、 そのシステムの仕様として有限の動作時間があるのならば、 それは仕方のないことだ。 Ragnarokですぐにサーバからキャンセルされてしまうのと同様、 人間が死ぬのも、そういうふうにできているのだから仕方ない。 仕様というのは、ユーザには手出しできないものだ。
このような僕の感覚は、 おそらく、「死」という概念がまったく理解できていないことから来るのだと思う。 僕にとって「死」とは、動作の停止でしかない。 また同じ例だが、 Ragnarokのサーバがダウンするのも、 人間がその動作を停止するのも、僕にとって見れば どちらも「死んでいる」状態であり、その両者に差は感じられない。 まあ、Ragnarokのサーバはすぐに動作を再開するから その点で決定的に違うのだが。
死ぬことが理解できていないから、 死に伴う様々な感情もすべて理解できない。 当然、家族や友人が僕の死によって何を思うかも分からない。 だから、臓器移植に協力しよう、という気になれるのかも知れない。 人間の身体は貴重な資源だ。 資源を焼き払ってしまうくらいなら、有効に活用した方がいい。 それは、自分の身体とて同じことだ。 今はまだ自分で使うから、他人に提供できない。 しかし、自分で使えなくなってしまったら、 他人に提供するのがもっとも効果的な活用法だろう。 今の僕の感覚はこのようなものだ。
ここまで何も分かっていないのだから、 当然、他人の死だって理解できない。 悲しむ時間なんて、どうして必要なのかも分からない。 考えたくはないが、例え好きな人が死んだって、それは同じことだろう。 僕にとって、その人が引っ越して連絡不能になってしまうことと 死んでしまうことは、ほとんど同義だ。 僕と同じ年代の人は、死に対してどのような感覚を持っているのだろう? 僕は、人として重要な感覚を持たないまま 20歳にまでなってしまったのだろうか。
自分にしろ他人にしろ、 人が重要なのは、それぞれがそれぞれの考え方を持っているからだ。 別に、美人だったり個性的な顔をしていたりするからではない。 だから僕にとって、人の顔なんてさほどの意味を持たない。 識別には便利だが、死んでしまったら識別もへったくれもないだろう。 ちなみに、その程度の認識だからなのかも知れないが、 僕は人の顔を覚えるのがかなり苦手だ。 一度見たくらいじゃ、絶対に覚えられない。 名前やその他のパーソナルデータはすぐに覚えられるが、 顔だけはなかなか覚えられない。 彼女の顔すら、とっさに思い浮かぶようになるまで結構かかったものだ。 しかも、思い浮かんだとしても、 印象的な止まった顔しか思い出せない。
ところで、あまり関係ないが、 僕は直接会う人に対して、悪意を抱くことがほとんどない。 これは、僕の心が清純というわけでは決してなく、 おそらくは恵まれた環境にいるためだろう。 実際、自分で自分を呪いたいと思うことは多くある。 自分以外の人に対して悪意を抱くことがないのだ。 他の人は誰かの悪口を言ったりすることもあるが、 どうしてそう思うのか、不思議でならない。 自分に対していろいろ不満はあるが、 他人に対して悪意を持たないこの精神は、 我ながら誇れるものだと思う。 今日、必ずしもそうでもない、ということに気づいたが。 まあ、その辺は後で述べることにする。
今日は、3限から講義を受けた。 それまでは、Ragnarokをやっていた。 起きてからやるのなら寝過ごすことはないと思っていたが、 あと少しで遅刻するところだった。
実際は、遅刻と言っても時間がぎりぎりになるだけだ。 たいした問題ではない。 しかし、3限から始まる日は、 少し早めに行くと、結構彼女に会えることがあるのだ。 彼女とゆっくり話す機会は意外と少ないので、 この昼休みの15分ほどの時間は、結構貴重なのだ。 だから僕は、偶然の出会いに期待して、 JR東京駅の京葉線のホームへ、必死に走った。 結局会えなかったのが間抜けだが。 しかし、だいぶ冷めてきたような気はするが、 それでも、まだまだという感じはする。
4限には、講義を入れていない。 友人とキャッチボールをして過ごすことにしていたのだが、 その友人は、演習の課題が終わっていないとのことで、 演習のグループで集まって流通センターの設計をしていた。 僕は、11月の1日から3日までの旅行の計画を立てることにした。
確か、旅行のことはこの日記には書いていないと思う。 11月1日から3日まで、 レンタカーを借りて、男4人でどこかへ出かけることにしたのだ。 目的は、紅葉と温泉。 とても男子大学生の目的とは思えないが。 ちなみに、レンタカーのことは前に書いただろう。 bBという2BOXカーだ。
1日目は草津温泉へ行くことになった。 何をそんなにこだわっていたのか知らないが、 とにかく、混浴の温泉にこだわって、やや高めの宿泊費となった。 はっきり言って女の人がいるのは嬉しいが、 遠慮してしまうことも考えると、かえってマイナスという気がする。 そもそも、他人の前で裸になるのは好きではないのだ。 女性がいるならなおさらだ。 それに、こう言っては身もふたもないが、 どうせ僕は眼鏡をかけないと、ものがまともに見えない。 混浴の温泉に入っても、何も見えないのでは意味がない。 …意味がない、というのは言い過ぎだが。 まあ、とにかく、僕にはこだわる意味はないのだ。
2日目は、地理的な事情などから、 軽井沢に行くことになった。 4人のうち、1人は少々不満があるようだったが、 僕は、軽井沢は好きなので、非常に嬉しい。 あの雰囲気がなんともたまらないと思うのだ。 ただ、この時期に行くと、おそらくはむやみに寒いだけだと思うが。 防寒具を用意する必要がありそうだ。
このような計画だ。 4日の休みのうち、3日を使う。 最後の1日は休養ということになっている。 まあ、何かするかも知れない。 近くになれば、適当にどうとでもなるだろう。 それにしても、友人たちの行動力には驚かされた。 候補となる旅館やホテルに、即、電話をかけてしまう。 予約がいっぱいになっていて危ないという危機感があるとは言え、 僕にはとても真似できない。
とにかく、4限の時間はこのような旅行の計画を立てたり、 5限に出さなければならないレポートを書いたりしていた。 このレポートがまた困ってしまった。 5つグラフを示されて、そのグラフの辺の数を求めよ、と言うのだ。 言ってしまえば終わりで、とてもレポートにならない、 と、このときの僕は思ってしまった。 彼女に指摘されて、そうではないと気づいたのだが。 レポートなのだから、例えただ求めよと書かれていても、 言われたとおり数値を示しただけでは不十分だ。 なぜそうなるのか、自分の考えを示さなければならない。 数学なのだから、自分の考えと言うよりも、理論的な背景と言うべきか。 まあ、答えは書いておいたから、 最低限は満たしているだろう。
それ以外に、最近話をするようになった女性の友人と話していた。 前から何回か書いている人なのだが、 実はこの人、1年生の頃から少し憧れていた人なのだ。 まさか、日常的に話をするようになるとは思わなかった。 自分のことを、それほど極端に卑下する必要はないのかも知れない。 劣等感を感じているおかげで、自分にはコミュニケーション能力が低いように感じるが、 他の能力とコミュニケーションの能力は別のものだ。 例え様々なことで優秀と言えなくても、 それによってコミュニケーション能力が劣るということは、必ずしも言えない。
その人は、非常に厳しいということで 有名な研究室で、ゼミを受講することを希望したらしい。 その噂のおかげか、希望者は非常に少なかったようだ。 その研究室、この大学でも1,2を争うほどの成果を上げている研究室で、 実は、単独で世界最高の操船シミュレータを開発している。 今はどうなのか知らないが、開発した当時は、 世界最高の操船シミュレータだったようだ。 インタフェースからすべて手作りという、恐ろしく安上がりのシミュレータなのだが。 10億円はかかるものを、1億円で作ったと言うのだから、 どのくらい無理をしたのかは推して知るべしだ。
ちなみに、その研究室の他に、 この大学にはGPSの研究で世界の先端を行っている研究室もある。 その研究室のためだけに実験施設を作っているくらいだから、 相当の実績があるに違いない。
それにしても不安に思うのは、 僕が希望している研究室、他に希望している人の話を聞かないことだ。 まさか、4人まで受け容れ可能な研究室に、 僕1人しか希望していないのだろうか。 教官は人気がないと言っていたが…。 仮にも情報を学んでいる大学で、JAVAの人気がないというのは いったいどういうわけなのだろう?
ここまで些細なことになると、もはやどうでもいいのだが、 卒業研究の話で、プログラミングを多く要求されているのには驚いた。 半分以上の教官が、プログラミングは絶対に必要だと言っているのだ。 情報系の大学なのだから当たり前と言ってしまえばそれまでなのだが、 カリキュラムにプログラミングが少ない割に、要求が厳しいと思ってしまった。
で、帰りなのだが、 なぜか彼女は、普段その駅で見ない人と話をしていた。 そのときの気分は、本当に嫌な気分だった。 まさか、彼女が他の男と話しているのを見るのが、 これほど嫌な気分だとは。 やたら楽しそうだったのが、その気分をさらに悪くさせた。 まあ、さらに言えば、 そいつがカンニングなどの常習犯で、 物事に対する姿勢が極めて不真面目というのも その気分をさらに悪化させた。 普段は、他人がカンニングしようが それで単位取り消しになろうが無期停学になろうが、 所詮は他人のことであって自分には関係ないと思うのだが、 それが彼女に絡んでくると、他人事とは思えなくなってしまう。 他人事のはずなのだが…。
…ってことで、他人に対して悪意を持たないと書いたが、 感情的になると、かなり強い悪意を持つということが分かって 愕然としてしまった。 少なくとも、この悪意という点において、 僕は他の人より心が広いのだと思っていたのだ。 残念ながら、普段は抑制が利いているのかそういう性格なのか、 とにかく現れないだけで、悪意を持たないわけではなかった。 誰と話そうと彼女の自由のはずで、 彼女が誰と話そうと、僕には関係ないはずなのだが…。 それに、彼女が誰と話したからって、それで僕との関係が変わることもないだろうし、 冷静に考えてみればこんな嫉妬のような気分を持つ必然性はない。 嫉妬ってのは、自分に向けられていた相手の興味が 他に向けられることを恨めしく思うことであって、 初めから自分に向いていなければ、そうとは呼ばないはずだ。 心のどこかで、未だに勘違いしているのだろうか…。
で、PHSに書いたこと。 僕は今、JRを使って帰るルートを使っているが、 大学周辺には、他にも地下鉄の駅がある。 そちらを使っていたら、僕の人生はどうなっていたのだろう? 地下鉄を使った方が、運賃は安い。 だから、経済的には多少得だっただろう。 しかし、友人はJRを使う人が圧倒的に多い。 もちろん、先程から述べているように、彼女もJRを使っている。 そのような状況で、自分だけ地下鉄を使っていたら、 さぞかし孤独な大学生活を送ることになっただろうと思うのだ。 特に、この3年生の生活は、 まったく違ったものになったに違いない。 現状だと、彼女とゆっくり話せるのは、 昼休みにバッタリ会うか、この帰り道しかないのだ。
しかし、先ほど書いた、 1年生の頃から憧れていた人というのは、 その地下鉄の駅の近くに住んでいるらしい。 ということは、地下鉄の方を使っていたら、 もっと早くから縁があったかも知れない。 所詮、このような仮定など何の意味も持たないが、 ただ、秋葉原を通る定期が欲しいというだけの動機で選んだ通学ルート、 意外な効用があったものだ…。 本当に、運賃で選んでいたらどうなっていたのだろう…。 地下鉄は、地下を長く歩かなければならないので、 気分的にも滅入るし…。
文字数をオーバーしているので、ここで一度切る。 残りは明日の分に。
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