■ たったひとつのたからもの 余波その2 |
2004年11月23日(火) |
「たったひとつのたからもの」が放映されてから、海渡のお友達のお母さんから「ドラマ見ました」と声をかけてくださったりすることが増え、ドラマの反響の大きさに驚くとともに、一般の人に少しでもダウン症のことを知ってもらえる機会が増えて良かったと思っている。
ところが、良い面ばかりではなく、ちょっと?ということもある。 前回のショッピングセンターの中年の女性のこともそうだけれど、子供達の好奇心満々な視線に何度も遭遇するようになった。
今日、地域の保健センターで福祉と健康のイベントがあった。 そこで、海渡と二人で綿菓子の列に並んでいたときのこと、小学校高学年の5〜6人の男の子が前の方から歩いてきて、誰かが「あ!」と言ったかと思うと海渡を指差した。そして、全員がジロジロとこっちを見ながら横を通って行った。すごく不愉快な感じがして振り向くと、すぐ後ろで全員が立ち止まりこっちを指差したままヒソヒソ話をしている。
次に、最初に「あ!」と言った子がみんなを手招きしながらこっちへ戻ってきた。ぞろぞろと全員ついてきた。視線は海渡から離れない。私と海渡の横を指差しながら通り過ぎ、1メートルも離れていないところで立ち止まると、全員が回れ右して海渡を指差しながら「あの子あの子・・・」とヒソヒソ。
私の中で何かがブチっと切れた。 通り過ぎてわざわざ戻って来る?そこまでする?
1メートルも離れていないその子たちの前に出ると
「何か用ですか?」
と訊いた。男の子たちはびっくりして
「え、べつに・・・」
「でも、ず〜〜っとこっち見ていたでしょ?」
男の子たちはしどろもどろになった。
「あの子(海渡の方を見ながら)知ってる子?」
「知らない」
そう言ったかと思うと走って行ってしまった。
海渡のことを知らないことや、一人だけかぶっていた黄色い帽子の校章から違う小学校の子供たちだということはわかっていた。ダウン症児が珍しかったのかもしれない。ドラマも見たのかもしれない。でも、こんなに露骨にあからさまに指差されて、悪意は100パーセント無かったにしても、良い気持ちはしない。はっきり言って、不愉快だった。当事者である海渡は何もわかっていないけれど、本人がわからなければ良いわけではないし、子どもであれ人を指差してヒソヒソ話しは失礼だ。しかも、わざわざ戻ってきて確認するなんて・・・・。
マンションの公園や放課後の小学校の校庭でも、他の子どもが海渡を指差して何か言っているのに遭遇したことはあったけれど、ここまで露骨であからさまじゃなかった。いい気持ちはしないけれどね。
今日の男の子たちもあのショッピングセンターの中年のオバサンも、こないだ見たドラマに出てた子によく似た子がいると気づいた、たったそれだけのことで、そこには悪意なんて無いのだと思う。ただ、素直に思ったままを言っただけ、行動に移しただけ。
でも、もうちょっとその相手の気持ちのことを考えてほしい。 たとえ、その相手が何にもわからない子どもでも考えて欲しい。ちょっと想像力を働かせてみれば良いだけのことなのにね。
だいたい、今日は福祉のイベント・・・・。それに気づいたらまた情けなくなってきた。そのうち、ドラマのことが人の記憶から消えていくとともに、こういうことも無くなるんだろう。
ショッピングセンターでのことといい、今回のことといい、たくさんの人に障碍のことを知ってもらい、理解してもらうということは、難しいことなんだと実感した。
それでも、やっぱりいろんな人に知ってもらう機会は減らしてはいけないと思うんだけどね。
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