++ 記憶の中へ
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■ 居場所 2004年07月25日(日)
 海渡が生まれてからこれまで、さまざまな「場所」で海渡の受け入れをお願いする場面があったけれど、思い返してみるとそのほとんどで拒否されていることに気づいた。

 1歳のとき、家から一番近い保育園で入園を断られたのが初めての受け入れ拒否だった。保育園側が言う断りの理由は、以前、ダウン症の子どもを受け入れたことがあるが、とても大変だった・・・というものだった。おまけに、保育園を管轄している役場の偉い人に呼び出され「障害児は回りに迷惑をかける」と言われた。

 小学校就学では、特殊学級がないという理由で、遠まわしに学区外の小学校へ行かれてはと言われた(その後いろいろあって、無事特殊学級を新設してもらって入学することができた)。

 やっと小学校に入学できたと思ったら、今度は学童で障害を理由に断られた。30人定員のところ登録児童が7人しかおらず、指導員が2人いて、子どもは普段は3〜4人くらいしかいない。でも、見ていられないから・・・というのが受け入れできない理由だった。知っているよその子どもさんがきょうだいそろって学童に入ったというのを聞くと、普通の子どもは電話一つですぐに入れるんだなぁと思ったものだった。

 そして、今回のスイミングスクール。
 はっきりと受け入れを断られたわけではないけれど、私にとっては同じことだった。

 時々、健常者の世界には、海渡の居場所はないのかなと思うことがある。

 ノーマライゼーションとかバリアーフリーとか、耳障りの良い言葉がどんどん増えてきているけれど、実際はこんなもの。まだまだ、障害を持った子どもが健常の子どもと同じように暮らせる社会ではないのだ。

 以前、海渡を連れて散歩に行ったり、スーパーに行ったりしているのを見た児童相談所の先生に

「今のお母さん方は立派ですよね。(障害のある)お子さんとどんどん外へ出ている。以前は、家の中から出さなかったものです」

と言われて、目が点になったことがあった。自分の子供連れて歩くのは普通のこと。それを立派だとか偉いとか言われてもちっとも嬉しくなかった。

 それでも、何年か経つうちに町の保育園のうち1ヶ所だけが障害児を受け入れたり(1箇所だけじゃ困るんですが)、役場の対応も徐々に理解を示してくれるようにはなってきて、それなりにノーマライゼーションの風を微風ながら感じることもある。

 私にできることは何なのかと考えるとき、やっぱり海渡と普通に暮らしていくこと、笑顔で毎日を楽しく暮らすことなんじゃないかなぁと思う。それができないこともあるんで矛盾しているようだけれど、ごく普通の暮らしをしていることで、障害を持っていてもそれが当たり前のことであり、当たり前に暮らせるし、当たり前に暮らしたいんだよということを身をもって示していくしかないのだと思う。

 障害を持った子供達が、当たり前に保育園、小学校、学童、お稽古事に行ける世の中になってほしい。



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