++ 記憶の中へ
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■ 保育園 1998年02月24日(火)
 今日は自宅から一番近い「S保育園」で体験入園の打ち合わせの日です。これは1週間ほど前、役場の 民生課からの突然の電話で決まりました。 海渡の保育園入園については、8ヶ月程前から役場に申請してありました。 海渡が生後10ヶ月位の時に保育園へ入れたくて役場へ行きましたが、すぐに保育園へ電話で問い合わ せてくれ、その時はすんなりと入園OKの返事を保育園側からもらっており、ダウン症という障害があるこ とも「善処します」という回答がありました。ところが、翌日になって役場から「0歳児は保母の人数が手一 杯なのでこの話は無かったことにして下さい、という連絡が保育園からあった」と電話があり、保育園入園 は流れてしまいました。
 そんな折り、近所に住む2番染色体異常の3歳の男の子が、突然決まっていた町立H保育園への入園 が取り消しになりました。理由は「提出書類の内容が不十分」というものでした。私は役場へ行き、この 町の障害児保育がどうなっているのか確認に行きました。答えは「この町では障害児保育は行っていま せん」というものでした。海渡も近所の3歳の男の子も最初から入園出来なかったのです。
秋になり、保育園の運動会を見学に行ったときに園長先生と話しをする機会があったのですが、その時 の内容は「障害児は困る」というものでした。それでも、一応予約ノートらしきものに、名前を書かせても らい「取りあえず、書類は役場に提出してください。審査は役場がしますから」との言葉の通り、必要な 書類を揃えて役場に提出しました。
そして、今回の役場からの電話は「園長先生や理事長とも話し合ったのですが、一度体験入園をしてみ て、それから保母さんに面倒みてもらえそうかどうかを決めてもらったらどうか、向こうも実際に海渡君を 見てみないと不安でしょうから」という、大いに希望を持たせる内容で、私は喜んで決められた日に海渡 を連れて保育園へ出かけました。
 ところが、話し合いの場は私の想像していたものとはかけ離れた内容であり、終始園長先生は困惑 迷惑顔でした。まず、海渡が歩けないということが問題になりました。また、歩けるようになってもダウン の子は足が遅いとか、すぐ疲れるので困るなど、依然預かったことのあるダウン症の子供のためにどれ だけ困ったか、当時の保母の言葉として「園外保育へ行っても足の遅い○○君がいるから他の子供が 前に進めない、目的の場所へ着かない、○○君のためにどこへも出かけられない、○○君がいるから 他の子供達が我慢しなくてはならない」ということを話すのです。そして○○君が卒園すると保母は「○ ○君がいなくなったからこれで子供達をあそこへもここへも連れて行ける」と言ったと言うのです。聞い ていて、悲しいのと同時に怒りもこみ上げて来るほどでした。何故、そんな話をするのだろう、この体験 入園は、園と役場が決めたことではないのか。
取りあえず、明日から3日間だけ体験入園をするということでその日は園を後にしました。




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