| 2007年08月28日(火) |
「美しい国」の卑劣な犯罪 |
名古屋市千種区の会社員磯谷利恵さんが男3人 に拉致され殺害された強盗殺人・死体遺棄事件で、 死体遺棄容疑で逮捕された3容疑者は、インター ネットを通じて知り合ってから犯行に及ぶまでの 約1週間、ほぼ連日、夜中に市内を車で走り回り、 金を奪うために襲う女性を物色していたことが 愛知県警特捜本部の調べで分かった。 (中日新聞28日夕刊 より)
世相を反映するようなイヤな事件は年がら年中発生しているが、あまりに多すぎて一つひとつの事件を覚えていられないというのが正直なところだ。でも、上記の事件は私にとっても大変ショッキングな事件であった。同じ市内で起きたということもある。が、それ以上に、自分の身近な人が(場合によっては自分自身だって)殺される可能性もあったという思いが浮かんできて、とても恐ろしくなった(「女性なら誰でもよかった」と容疑者も供述しているらしく、つまりは名古屋近辺にいた女性なら誰でも可能性があった。その時の状況によっては、男性だって可能性ゼロではなかったと思う)。それと、「あまりに残酷な殺人」であるにもかかわらず「とてもお手軽な犯罪」に見えてしまう点が、逆に恐怖を呼び起こしたということもあるのだろう。それにしても、殺害された女性が味わったであろう恐怖や苦しみ、無念さを思うと、胸が締めつけられる思いがする。 私は「死刑廃止論者」ではあるのだが、このような事件が発生した時、「死刑廃止」というポリシーが一瞬揺らいでしまう。たまたまそこを通りかかったというだけで拉致し、金品を盗み、命乞いする女性を無惨にも殺害する。どうしたら人間はそこまで非情になれるのだろうか(加害者もまた私と同じ人間ならば、私のなかにもそんな残酷さが眠っているのだろうか、というふうにも考えてしまった)。どう考えてみても「許し難い犯罪」である。けれど、いや、だからこそ「死刑」(犯人の死)をもってその罪を償うことなど到底できるものではないと思う。それに、殺人に対して国家が合法的とはいえ死刑という名の「殺人」を行うことが許されていいのか、という疑問はどうしても残る。いかなる極悪人であっても殺されてはならないし、殺人を犯した者は一生その罪を背負って生きていくべきだと、私は思う。 ところで、中日新聞28日夕刊の1面、「女性拉致殺害・1週間女性を物色」という記事の隣には、「ネットカフェ難民5400人、厚労省・半数が非正規労働者」という見出しが並んでいる。 2つの記事の間には、直接的な関係はない。けれども、まったくの無関係かというと、そんなことはないと思う。「ネットカフェ難民」が社会問題化する時代の空気のなかで、今回の「女性拉致殺害事件」も起きたのだ。だからと言って、「社会が悪くて、加害者に責任はない」などという暴論を言うつもりはまったくないので、誤解なきよう(念のため)。ここで言いたいのは、「格差社会の是正」「セーフティー・ネットの拡充」等の政策の実行が一方では求められている、ということだ(ピントはずれの現政権には到底期待はできないのだが)。
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