日記日和
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2005年10月06日(木) |
あるお医者さんの・・ |
昨夜娘と一緒に、とあるステージを観てきました。
ある方に「『日本のお医者さんが医療支援で訪れた国々の子供を撮影して、その映像を見ながら彼の話や歌、楽器の演奏を聞く』というイベントがあるんですが、子供さんと一緒にどうですか?」と誘って頂いたのがきっかけで。
仕事関係で日頃からお世話になってる方のお誘いだし、子供に日本以外の国のコトを知って欲しい気持ちもあるし・・程度の軽い気持ち(=あまり期待せずに)出掛けました。
定員200人という小さなホールのステージに登場したのは、まだ30歳前後の若い男性でした。
勝手におじさんを想像してた私は、そこでまず「ヤラレタ」気分。
最初は、その方が見て来られたという5大陸の最高峰と有名な観光地の数々の映像がスクリーンに映されました。
キリマンジャロやマッキンリー、サグラダファミリアや万里の長城、そして私の憧れのマチュピチュまで登場して、いい気分でイスに座っていました。
聞こえてくるのは、プロでも十分通用するんじゃないかと思うくらいのその先生の上手な心地よい歌声で、また「ヤラレタ」気分。
世界の子供、それも悲惨な環境の子供たちの映像ばかりだとちょっと辛いなぁと思っていたので、平和な映像の数々にかなり安心しました。
その後、その先生が海外で色んな人と出会い、それまで全く興味のなかったボランティアをするようになった過程を、子供にもわかるようなやさしい言葉で話してくれ、映像も少しずつ変わっていきました。
撮影場所も観光地からソマリア、東チモール、旧ユーゴスラビアの国々へ。
それでもやっぱり、語りや映像の中心にあるのは屈託の無い子供の言葉や表情で、弾痕だらけの校舎で勉強する子供たちも難民キャンプの子供たちも、すごく綺麗な目をして笑顔を見せていました。
「難民キャンプで人々にカメラを向けると一斉に駆け出したので、恥ずかしがっているのかと思ったら、みんな一張羅に着替えに帰っていた」とか、柔らかい語り口で会場を笑わせながら話を進めていかれました。
ただ、子供たちの今の生活を伝えるために、その背景にある戦争のことにも触れています。
ボスニアの映像のなかで、元はサッカー場だったところが今は墓地になっていて、かつてのフィールドが一面墓標に埋め尽くされていた光景はすごく衝撃的でした。
亡くなった方があまりに多く、墓地が足りなくなったのだそうです。
土葬のため、亡くなった人の大きさに土が盛られているのですが、他の半分くらいの長さのところには小さい子供が眠っているのだと説明を受けた時には涙がこぼれそうでした。
その先生の語りのなかに「戦争反対」とか「大人の身勝手の犠牲になるのはいつも子供だ」とかそんな直接的な言葉は出てきません。
映像も、悲惨さを伝えるのはほんの一部で、大半は逆境にもめげずに明るく逞しく生活する人々の姿なのですが、それが返って心の深いところを突いてくる感じがしました。
終演後、感想を書くアンケート用紙を前にしてもなかなかペンが進みませんでした。
すぐに「よかった」とか「大したことなかった」とか判断するのではなく、自分の中で問いかけ反芻しながら考えていくべきもののような気がして。
また、とても多くの感想や思いをすぐに言葉にしてしまうと、言葉にした部分だけが切り取られて、一人歩きする気がしてしまったのです。
だから娘にも敢えて何も聞きませんでしたが、表情を見てると何かを感じたんだろうなということは想像されたので、今はそれだけで十分です。
その先生が学校に招かれて子供の前で話すときには、締めくくりに「人生に行き詰まったら、アルバイトしてアジアの国々を訪れて欲しい」と伝えるそうです。
自らの価値観が変わった体験による言葉です。
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