2006年04月17日(月) |
【映画】エミリー・ローズ |
今更ながら先週の木曜日『お一人様』で見にいきました。 最近の映画のCMって、看板に偽りアリだよなぁ……と、またおもちゃいました。(^0^; これは、悪魔憑きの映画なんかじゃありません。むしろ、テーマは人間の尊厳死に近いんじゃないか? ってのが、私の感想。 下手な小細工の悪魔はいらんかったな。 ちなみに私、泣いちゃいました。(;;)
もうネタばれオッケーだよね……ってことで、バレバレです。
【エクソシスト】を見たのは小学生の頃だったと思います。 悪魔憑きの話ですけれど、かなりグロテスクな映像が話題になっていて、それを見たくて見に行ったと思います。でも、前半は非常に淡々としたお話で、小さい私にはよく理解できず、まだ悪魔が出てこないのか? と、あくびをしながら見ていたものです。 今から思えば、あの映画は悪魔払いがテーマだったのだろうか? それを材料に別のことを描き出したかったのではないだろうか? と思いますが、そこまで探るだけの記憶がありません。 エクソシスト後、ブームになったオカルト物のほうは、明らかによりエンタメ色が強く、恐怖をあおる作品が蔓延したと思います。
で、今回の映画【エミリー・ローズ】も、実話がベースといいながら、恐怖をあおる作品なんだろうと思いつつ、見に行きました。オカルト特番のノリですな。(笑) が……やられました。 確かに恐怖をあおるような効果を駆使しています。 でも、苦言を申せば、これくらいじゃ怖くない。むしろ、こちらのほうはちゃっちいと言えます。 証言をしようとした医師が、突然の事故で死ぬところなど、オーメンの二番煎じでつけたしのようなのがありあり……。 長い廊下を歩いてゆくシーンだって、確かに怖いんですが、今のホラー映画から見たら全然です。 特に弁護士のエリンも恐怖体験をした……という場面は不要だったかも? 時計の三時のモチーフもやや中途半端な使い方だったと思います。 でも、この映画は非常によかった。
まずは、映像が美しい。 最初のシーン。牧場のような場所の鉄線に血が滴っている。 怖い……というよりも、どこか幻想的で美しいと感じました。 そして、それがクライマックスの感動へと繋がる伏線になっていて、後に私を泣かせてくれました。 次に、オカルトなんか信じない、豪腕弁護士ぶりを披露するエリン。この徹底ぶりと、徐々に不安に苛まれてゆくところが、オカルト的恐怖というよりももっとリアル。 仕事であれば、たとえ殺人犯でも無実になるようにする、それがプロの仕事。だが、その殺人犯が無実になったおかげで、新たな被害者が生まれた。 実は、そういった葛藤のほうが、完璧豪腕弁護士には精神的に痛い。 狂信的とも言えるほどキリストを信じるカトリックの家族。そして、エミリー自身も。 この映画の大半は、法廷にある。 エミリーの死因が、満足な医療を受けさせないで悪魔払いをした神父にあるのか、それとも彼女に憑いた悪魔にあるのか……。 この映画は、悪魔の存在が裁判で争われたかのようであるけれど、実はそうではない。 結局、弁護士エリンは不可知論者であり、恐怖体験もしてはいるけれど、その立場を変えてはいない。 最終的に裁判で敗訴したのは【悪魔の存在を認められない】からだろう。でも、同時に極めて勝訴に近い結果になったのは、エミリーに対する神父の慈愛にあるだろうと思う。 その根底には【悪魔の存在を否定できない】という事実がある。
ここで勘違いしてはいけない。 【祈りで病が治る】というエセ宗教に乗ってはならない。 むしろ、神父が無罪になってしまったら、このようなことが横行してとんでもないことになってしまうのでは? などと、私は心配してしまった。 かつて【定説】という言葉を唱えていた宗教指導者がいたけれど「はい?」と思われる話でも、完全否定するのは難しい。 「もうすこしで生き返るところだったのに、邪魔をされた」 と言われたらバカバカしいのだけれど、奇跡というもの自体がありえないことが起きることをいうのだから、何とも言えなくなる。一種の詭弁とでもいおうか。
この映画のケースは、まったく医学を無視していない。無視していたら、単なる狂信者である。 限りなく勝訴に近い結末を迎えたのは、その事実を証明したからである。 そして、一番大事なのは、本当にエミリーが悪魔に憑かれていたか、どうか? ではない。 原因不明でどんどん悪くなっていく状況、食事が出来なくなる事態。 あらゆる医学的治療も、エミリーの苦しみを和らげることは出来なかった。 この苦しみを乗り越えるために、エミリーは信仰を求めた。 それが一番大事なことだったのではないだろうか? 私が、この映画を見て【尊厳死】に近いテーマだ……と感じたのは、まさにその部分なのです。
最後の手段、悪魔払いさえも失敗して、エミリーは絶望します。 その時に見た夢が、最初のシーンとオーバーラップする。 彼女はそこでマリア様と出会い、悪魔がずっとエミリーに取り憑いたままなのは、彼らがそこにいる運命で変えられないのだ、と言われます。 逃れられない苦しみほど辛いことがあるでしょうか? エミリーは何も悪い事はしていない。むしろ、神様を信仰して生きてきた。 そのような少女が、なんと悪魔に憑かれて死ぬ運命だとは。 マリア様はエミリーに言います。 あなたは、世の中に悪魔の存在を伝えるために選ばれた、でも、もしも苦しいのならば、私とともにその場を去る事も出来ると。 エミリーは、その言葉を聞いて「ここに留まります」と言う。 エミリーの体に聖痕が表れる。それは、キリストと同じ傷。 でも、本当にそのような奇跡は起きたのか? 実際は検事が言うように、夢遊病のように彷徨ったエミリーが牧場の鉄線を握りしめたため、掌に穴があいてしまったのだろう。 しかし、その行為すら、神が聖痕を現すために導いた結果とも言えなくはない。 悪魔の姿もマリア様の姿も、映画には登場しない。もともといないかも知れないのだ。
ただ、エミリーは神様を信じた。 そして、自分が生まれてきて死んでゆく理由を知って、死んでいった。 これは、やはり魂の救いだとは言えないだろうか?
このシーンを補うように、弁護士のエリンが熱弁を振るう。 そこにも、悪魔や神の存在を肯定する言葉はない。 幻想的な映像イメージと強い訴え。 これだけストレートにテーマを打ち出しているのに、なぜ、この映画がオカルト・ホラーとして宣伝されたのか、本当に不思議なところである。
私が、泣けていた理由は、エミリーがかわいそうだから……だけではない。 世の中には、救いようのない苦しみの中で生きている人たちもいる。 私は、常に前向きに物事を考えるようにして、苦難に負けないように、自分からくじけてしまわないように心がけている。 でも、それは、まだまだ幸せで、やれば出来るよ……どうにかなるよ、という希望があるからだ。 もしも、何も希望が見いだせない状態になったら? 難病に冒され、体の自由もなく、心も別のものに乗っ取られ、徐々に自分でないものになっていったら? その状態で生きていく楽しみを見いだせ、世のため人のための尽くせ、などと思えないだろう。 エミリーは、まさにそういう人の代表のように思う。 何一つ悪くない。何も原因はない。 なのにエミリーは悪魔に憑かれて死ぬ運命に陥り、自分ではどうともする事が出来ない。 夢も希望も一気に失われた。 「なぜ?」というエミリーの疑問にこらえられたのは、医師ではない。神だった。
もしも健康に生き続ける事が出来ても、人間はいつか衰えてぼろぼろになって死ぬ。 死は誰にでも訪れる最も平等な出来事だ。 その運命は免れない。
私は多分、神様を信じていない。 悪魔の存在も信じていないだろう。 でも、最後の救いは、人々が神と呼ぶものだと思う。 なぜ? に答える【悟り】だ。
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