2006年03月19日(日) |
【映画】ミリオンダラー・ベイビー |
いい映画と聞いていたけれど、ボクサー物なんて痛そうで見たくない……と思っていました。 さらに、封切られた後のレヴューは、意外にも賛否両論で、これほど評判が両極端の映画も珍しいのではないでしょうか? たまたまテレビで途中から見ました。 主人公マギーがフランキーとともに栄光への道を歩み出すあたりからです。 テンポがいいので、何の苦もなく途中からでも入り込むことができました。
この映画は、評判どおりの傑作です。 ただ、万人向きかというと……痛いのが苦手な人は避けたほうがいい映画だと思います。 また、今現在、人生に行き詰まり、乗り越えなければならない状態にある人も、見ないほうがいい。 生きるとは何か? を強く訴えかける映画だけに、そんなことに悩みたくない人は、見ないほうがいい傑作映画なのです。
ここからネタバレです。 30過ぎからボクサーとして開花したマギーは、タイトルマッチの最中、相手の反則で重い障害を受けてしまいます。 最終的に、彼女が選んだのは【尊厳ある生、安楽死】の道でした。 前半のまさに生命の輝きに満ちた才能開花のマギーの姿と、後半のどんどん枯れていく彼女の姿は、あまりに対象的。 その壮絶さから、彼女が死を選び、トレーナーであるフランキーがそれを助ける……という結末は、充分な説得力を感じさせます。 しかも、おそらくフランキー自身も生を捨てたのでは? と思わせるラストです。
この作品を、私は単純な【尊厳死】への讃歌、とは思えませんでした。 なぜならば、回復の見込みのない日々を長く送っていくにつれ、消耗していく二人の様子が良く描かれていて「正しい道を選んだ」というよりも、むしろ「それしか選びようがなかった」と思われるからです。 「彼女を死なせたくはない。でも、彼女を生かすには殺すしかない」と思い詰めてしまうフランキー。 今日しなくても明日、明日しなくても翌週には、フランキーはマギーを殺すだろう……と思えるのです。 フランキーは、できる限りのことをして、マギーを立ち直らせようとします。自己制御できる車椅子を用意して、学校へ行かせて学ばせようとしたり、一番いい医療施設を世話したり。 でも、マギーの人生は、ボクシングを失ったことで終わってしまった。 殺す事に何の希望もなく、心の安らぎもなく、ただ終わりだけがあった。それだけです。 この二人の選択を正しいとは思いません。 でも、この道を選ばざるを得なかったこと。私もこの道を選ぶかも知れないことを、否定できない。 このような人生は、ありえると思う。 自殺はいけない、生きる希望を持て! とは、簡単には言えない。 だから、この映画は単純な【安楽死に賛成・反対】というものを越えた説得力があったと思います。
私は、このような尊厳死には賛同しません。 なぜなら、人間は生きているうちはきっと何らかの希望がある……と信じたいからです。 どのような体になっても望みを持てると信じたい。生きている意味があると思いたい。 最後の最後まで、マギーに新しい生きがいを見いだして欲しいと願って見ていました。それができない事にも、仕方がないと納得しつつ、です。 今の医療の進歩は、本来死ぬべき人を生きながらえさせるという、以前にはなかった試練をあたえているのかもしれません。 だから、本来、神様があたえた命以上に生きているのだから、死を選ぶこともかまわないのではないか? とも思う人もいるでしょう。 でも、このマギーがそうですが、本来、未熟児で生まれ落ちて死ぬべき子供達が、普通の子供達と変わらずに大きくなって、大人になり、幸せになっていることを思えば、医学が長らえさせた命であっても、充分に大切にするべきと思います。 自分がこのような状態になったら、やはり死を選ぶかも知れない。でも、最後の最後まで粘り、希望を見いだそうとする自分でありたいと願います。
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