2006年02月03日(金) |
感想を書いた感想を書いて感想を考えた |
えーと……【ホントノユウキ】という作品も、A&Cで募集して感想を書きました。 ……どうもこのテーマは感想が書きにくいです。(^ー^; 【死】というものを扱うものを読むと、どうしても私はナーヴァスになっちゃうから。 おそらくそういう人は多いのではなかろうか? とも思います。 この作品を読んで思うところはありました。でも、非常に言葉にしにくかったです。 で、結局散々あーでもない、こーでもないと長々書きまくったあげく、かなり短く削って感想としました。 ここには、その感想は載せません。 その後、ぼちらぼちらと考えたことを書きます。
大事な人が亡くなった時に希望を感じる人はいるだろうか? いないと思います。 いや、大事な人だけではなく、たとえ飼っている金魚の金ちゃんが死んでも希望に繋がらない。 おかあさんに、「金ちゃんはこれで青空で泳げるようになったんだよ」とか「姫ちゃんにかわいがられてシアワセだったって」とかいわれて、うん、じゃあよかったんだ! とは思えない。 だから、子供の死に希望を語る結末は、かなり無理がある。 大事な人が死んだ時にあるのは、絶望と後悔――死に希望は語れないだろう。
……と思ったのだけど。まぁ、それはうんちくですね。(^0^;
もしも死に希望は語れない、としたら、私の2004/08/24に書いた【鮭缶、あるいはその日ヒロシマで】の感想は何なのだ? と言われてしまいます。(笑)
**引用** でも、ひとつ希望があると思いました。 人はどんなに悲惨な悲しみを受けても、嘆き悲しんでは死に至らないということです。 第三者からみて、無駄で虚しい哀れをさそうような夢や希望であっても、辛いときにこそ希望をもとうとするものなのだな、と。 **引用**
希望のニュアンスがかなり違うのですけれど、死を通して人間の力を感じております。私。 悲惨な状況で希望を見いだす私は、ひどい人間です。(笑) 悲劇や悲惨な話が好まれるのは、実は焼き畑にも似た死と再生の疑似体験なのかも知れない。 これを長々語ると、とてもエセ哲学的なお話になっちゃいそうです。なので、略。
結局、希望がいいかわるいか? なんて言葉選びで、ふさわしいかふさわしくないか、なんて定義はないわけで。 作品に共感できるか、できないか、……なのかな? 何でそう思ったの? と言う事を説明するのは、簡単なことじゃない。 思うのは一瞬で、頭で考えているわけではないのだろうな。 でも、そこをどうにかうんちくうんちく考えることが、感想を書く事なのかな? などと思ったり。
なんだか、感想を書くってことは、作者の頭の中よりも自分の頭の中をのぞくみたいだな……。 などと支離滅裂なことを思って締めくくりにします。なんじゃ、こりゃ?
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