本日の感想文。

2006年02月02日(木) 【オンライン掌編】そして私は旅をする

今年の正月、実家に帰って父と話していたら、とある本の話になりました。
「ほら、おまえは文章が書けないから、買ってやった本があっただろう? 少しは読んでみているのか?」
ドキ! 読んでいません。
今からは信じられませんが、ほんの数年前までは、確かに私は文章とは縁のない生活をしていました。まっとうに手紙も書けない私に、父が「社会人として恥ずかしい」などと言って、現代文章作法なる本をくれたのでした。
でも、その時は全然自分が物を書く人間ではないと思っていたし、父が思うほど文章を書くような職場でもなかったので、その本の存在は忘れ去っていました。

で、帰ってきてからちらちら読んでいます。(^ー^;
そこに、上手に書けているけれど物足りない作品というのが例文としてありました。
私は充分に面白かったのだけど、批評する側からすると、選びようがない作品だというキツい評価です。(まぁ、この本自体古いので、今はどうなんでしょう?)
で、A&Cでハルヤさんからこの作品の感想をお願いされた時、ふっと思い出したのが「上手に書けているけれど選びようがない」という評価の言葉でした。
選ぶわけではないので、充分にいい作品だと思います。でも、あえて物足りなさを書いてみました。
A&Cからの一部抜粋です。

***

現代生活の閉塞感。どこが悪いというわけではないけれど、どこか物足りなさを感じる日々。そこから脱却を計ろうとする女性のお話です。

>だから、私も旅にでる。今と言う時間から、あしたに向けて一歩ずつ。

が、結びとなっています。
ところが、私ときたら、次のページをクリックしようとしていました。
これでこのお話が完結したとは、すぐに思えなかったのです。
テーマは、非常に多くの人に共感を得られるものだと思いますし、文章力もあります。よく書けている作品だと思います。
それだけに、充分なインパクトがないのは、もったいない気がします。

まず、一番弱いと感じたのは、「だから、私も旅にでる」です。
何が、だから、なのか? ってところです。
主人公は、ただお友達に温泉に誘われただけで、偶然に「飛んでいる祖母」の思い出を見つけただけで、祖母の絵を見ただけです。
今ひとつ、彼女が今から旅立とうとする決意に結びつくものが弱い気がします。
それがきっかけで旅立って、何かを経験して、何かを経て、初めて話になる気がします。
そもそも、祖母の生き様をちらりと鑑みるだけでは、人間生き方は変わりません。
それで変われるならば、誰もそんなに悩んでいないはずです。
「自分も、少しは見習ってみようかな?」程度の気持ちにはなるでしょうが、明日の希望になるほど、強い想いだとは思えないのです。
だから、私はつい、まだ先があるに違いないと思ってしまいました。

>人に夢と書いて、儚いと言う。

これは素敵な言葉だと思います。
でも、その祖母の生き様がたった一枚の若かりし頃の習作の絵に凝縮されているだけなので、非常に表面的で薄く感じてしまう。繰り返しがくどくなる。
この言葉を活かすならば、
>実際は長い間をかけて儚いものを追いかけ、掴まえたのだ。
という過程が描かれなければなりません。

個人的には、この作品を長編にすると面白いだろうと思います。
このお話が、主人公が祖母の足跡をたどる旅をして、彼女の生き方を直に感じて、最後に「私も、旅に出よう」となれば、説得力あるお話になると思います。
激動の時代を日本画家として生き、パリにも渡った女性……その人生を振り返るうちに、読者も千雪とともに、明日の夢を見ることが出来そうな気がします。
日本画家という職種も魅力的で雰囲気ありますし。

が、短編でこのエピソードを活かすのならば、一人称にして、エッセイ風にしてみてはどうか? と思います。
最近、某所で似たようなお話を読みました。
祖母の血が流れているのだから、私もがんばれるはずだ……っていうようなお話でした。
で、私は、今書いたようなことを思い、こりゃダメだ、と思ったのですが、その作品はなんと賞をとってしまった! あれ、私の評価の方が、こりゃダメです。
――ということで、私はこの作品にもその作品にも物足りなさを感じましたが、他の人は違うかもしれません。評価はほんと、人それぞれよ。(余談・笑)
実は、賞を取ったという某所の作品を、私は小説だと思わず、エッセイだと思ったのですよ。小説として読めば、だからどうなのさ、と思うのですが、エッセイとして読めば、確かに面白いものがありました。
ハルヤさんの作品も、エッセイまでいかなくても、一人称が向いていそうな気がします。
もっと千雪の心の変化をストレートに描けるし、読者にも共感を得られると思います。

おそらく「説教くさい」とハルヤさん自身が思ったのも、結でどうにか読者を説得しようという強引さを自覚したからではないでしょうか?
そのために、どうにか千雪を納得させよう、人生悟ってもらおうと、どこか無理強いしているような気がします。
「だから、がんばるんだよ」と訴えるのですが「だから、なんで?」と、空回りしているように思えます。
小説は、時にはっきりとした結末をほしがる気がしますけれど、その時感じた想いを率直に描くのも大切かな? と思います。
どうにか自分を奮い立たせることは、若い時はもちろん、幾つになっても難しいことで、私自身もどうにかしたいな、と思うことがあります。逆に「もう年だしな……」とあきらめが先に立つことも多いですしね。
人間、それほど簡単に悟れるはずがない。千雪を物わかりのいい大人にする必要はないと思います。
強引に結論を出さず、率直に迷いは迷いのまま残しておいて、等身大のままの結末を目指してみてはいかがでしょうか?
きっと、多くの人に共感を得られると思います。

***

補足です。
ここに出てきた某所の作品というのは、こちらでも感想を書いたヤフー文学賞特別賞の【キヨコの成分】です。祖母の生き様を振り返って、明日への希望にしようとするところが似ています。
話によると、ハルヤさんも作品を投稿しようと思っていたらしいのですが、納得いく出来ではなくて取りやめたそうです。
ばーさんの強烈さでは受賞作のほうがすごいのですが、主人公の日常のけだるさはむしろハルヤさんの作品のほうが描けているかな? と思います。

今よりも女性の権利や自由がなかった時代に、けっこう強烈な女性が生きていました。逆に抑圧されているところが多いから、こういった女性が際立つのかもしれません。
生きる道の選択肢が自由に選べる時代に生きている主人公・千雪は、逆にどうやって生きていけばいいのか、わからなくなっています。
祖母の生き様を胸に、旅立っていこうとする千雪。
自分探しの旅は、むしろ自由人の贅沢な旅なのかも?(^ー^)


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