本日の感想文。

2004年12月30日(木) 津波のお話

えっと、まずこの記事を書いているのは新年明けてからです。
被害の実情がわかってくると、思いのほか大きな被害であったことがわかり、驚きと悲しみの念でついついニュースを見てしまいます。
あまりの悲劇を気持ち新年に持ち込みたくはなく、ついつい過去の日に書き込んでしまったわけです。
とはいっても、いろいろな教訓は過去にはできませんね。

驚くのは、多くの映像が残っていること。
これって、今後の貴重な資料になることでしょう。
ほとんどが、素人が家族との楽しい日を写そうとして回していたのだと思いますが、それがこのような悲劇を写すとは。
しかし、おそらくもっと多くの映像が撮られたのだと思います。
津波の恐ろしさを知らないで、ビーチで写していた人の大半は波に飲まれてしまった可能性があるからです。
「人が波にさらわれていく様子を、よくも淡々と写せるものだ」
と、思う人もいるかもしれませんが、かなりの危険を冒して撮影されたビデオを今後の災害防止に活かすことができたならば、悲鳴を上げることよりも大事かもしれません。
もちろん、自分の命を大事にすることが一番でしょうか……。
映像を見るかぎり、ビーチにいる人々のほとんどが、すぐに危険を感じて逃げたわけではないことが、よくわかります。
映像は時に被災した人たちには残酷な刃になることもあるのですが、多くの教訓や今後の研究の貴重な資料になることも事実。
人間が災害にあった時、いかなる行為をとるのか? は、多様であるからこそ、いろいろな事実がわかるのかな? とも思います。

しかし、映像がすべてを伝えるわけではないと思います。
実は、アメリカのツイン・タワー崩壊の時もそうだったのですが、私はこの映像が映画の一場面のようにしか見えなくて、目の前で人が死んでいくのをまったく実感できないのです。
悲しめ、目を覆え、ひどいと思え! と、映像が私に訴えるのですが、私は呆然と見ているしかない。許容力を超えると、現実の映像も虚像に見えるものなのかもしれません。
映像以上に私の心を揺さぶるものは、冷静に現実を伝えるニュースです。
「どうも娘じゃないように思う」「確認された遺体が間違っていた可能性もある」「遺体が確認できない」
などのコメントに、ぐっと悲しい気持ちになります。
溺死した人は、体がパンパンになってしまうので、誰が誰かわからなくなってしまうのですね。
波で所持品の多くは流されただろうし、身元もわからずに並べられているのか、と思うと。
とある国が、身元の確認前に遺体を荼毘にふしたと抗議したようですが、今後の遺体腐敗に伴う疫病の危険性などを考えると、わからないでもないような気もします。
ドライアイスで保存……といっても、南国でどこまで可能なのかわからないし。一刻も早く、遺体の確認ができればいいのですが。
異臭が漂うのか、大きなマスクをした遺族の人々が痛々しいです。

***

実は私、津波が怖いんです。
小さなころ、何度も波に飲まれる夢を見て、海のないところに住みたいと、真面目に思っていました。
理由は……東パキスタンの津波のせいです。
ネットでそれらしきニュースを調べてみると、昭和38年らしいことから、ちょっと私の記憶に残るはずがない……。(^−^;
おそらく別の津波か海難の映像を見て、その後東パキスタンの津波の話を学校で聞きおよび、恐怖倍増になったのだと思います。
人の足が物のように落ちているのが、頭に鮮明に残っています。
以来、私は水にはかなり臆病になりました。

姉が、この1月にペナン旅行を計画していましたが、取りやめました。
ツアーは成立するとのことですが、やはりくつろぐために行くのに、多くの人が災害に巻き込まれた地で安らかにできるはずがないとのこと。
私も誘われていた旅行だけに(ことわったけど)ちょっと複雑。
姉は運がいいのか悪いのか……。
日にちが少しずれていたら、被害者になる危険性もあったわけです。
ちなみに、姉は「バンコクを火事で」「グアムを台風で」キャンセルした経験があります。(あ、グアムはそれでも行ったのかな?)
「リフレッシュしたい。楽しみ」
と、言っていた姉です。旅行なんて、本当に頻繁ではないだけに……。
今回は、年末年始の旅行を楽しんでいた人も多かったんですよね。
せっかくの家族旅行が悲劇になってしまうというのも、本当に残されたほうにも辛い……。


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