| 2004年10月12日(火) |
情報が多いと問題が生じる? |
私は情報通ではありません。 人のことなどどうでもよいわ、わが道を行きまーす。。と言いつつ小心者。 外に出たがらず、こもりがち……な面と、外に向かって自己主張したがる俺様な面を持ち合わせています。
二面性人間だ! と言われればそれまでなのですが、人間多かれ少なかれ、二面性があるものです。 物理の世界で作用があれば反作用があり、ファンタジーの世界で光があれば闇があり、人間はジギルとハイドです。 完璧な善人もいなければ、完璧な悪人もいない。 正義というものは、常に正しいわけではなく、時に正当性と同意義になっちゃうようなものです。
カーレースを見に行く人は、滞りなくレースが終わることよりも、激しいクラッシュを期待していることが多いようです。 それって、ひどい! と思う人でも、衝撃の映像なんて番組があると見たりする。 ラブストーリーも常にラブラブだと退屈してしまい、たまにライバルなどが現れてやきもきさせられます。 人が死ぬ事件は気持ちいいことではないはずなのに、皆、惹かれたかのようにニュースに釘付けになります。 誰だってとことん美しい人間はいず、常に悪意と善意に揺れて生きていると思うんですよね。
で、話は戻ります。 引きこもりがちな私とでしゃばりな私がいるわけですが、社会というものは『情報通が権力を握る』世界でもあると思うのです。 その人から情報が得られると思ったら、おのずと人が集まってきて、よいしょしだすような……。 人望があり、意見がまかり通るほど力を誇示できるわけで、時に上司よりも強い部下が現れたりもするわけです。
今、一番社会を動かすことができるのは、実は世論かもしれません。 誰かが情報を上手くコントロールすれば、社会は動いてしまいます。しかも、やがてその人の手を離れて一人歩きし始めてしまうことが多いです。 独裁社会は、だから人に意見を言わせることを嫌いますよね? しかも、昔よりも気軽に情報を他方に渡って発信することができるので、似た意見同士の者が結束しやすいわけです。 結束した人間は、ある種の敵を見つけると過激な攻撃を繰り返すこともあります。時に、その人の罪よりも重い社会的制裁を加えることがあるなぁ、と思います。
私が一番嫌いなコメンテーターのタイプは、前にも書いたことがあるのですが 「国民の意見をないがしろにしているよ」とか、 「皆、そんなことを望んでいないよ!」とか、 まるで自分が国民の代表のような、皆の代弁者のような意見をいう人です。 「そうだ! そうだ!」 と思う人がいるから、そういうのだと思いますが、人間十人十色というのに、たった一つの思想だけがあたかも全体の意見のように吹聴したがる人には、本当に辟易してしまいます。 さらに困ったことに、日本人にはどうも主流の意見にのりたがる、という特徴があるようで、「みんな」と言われると、その意見に乗っちゃうのです。 中には、 「みんなの意見を聞いてから、意見をまとめます」 などと言ってしまう。あ、某総理もそんなことを言って、ひんしゅく浴びていましたね。 要するに、自分ではわからないから、判断は多数決で決めちゃいます……ってことなのです。 そういう人に限って、いろいろな立場の人の意見を聞くよりも一番目だった意見とか、「皆がそう言っている」と言うことに流されちゃうのですね。 意外と、誰もそうは思っていないのに、皆が……に縛られることって多いと思います。
情報が多いと問題が生じる……と言うのは逆説的で、情報過多になると整理しきれないのか、一番多数と思われる意見に走ってしまう人が多い、てことです。 自分で考えることを忘れてしまっているような……。 稚拙でも未熟な意見でもいいじゃないですか? よーく考えよう、と思います。
私は、おそらくアウトサイダーな人間かもしれないです。 だから、私の意見なんて、社会一般の常識から外れているのかもしれません。 ですから、私は「私は思う」とよく言います。 けして、「皆もそう思っているんだよ」とは言いません。
時々、正しいと思われることでも度が過ぎるとヘンなことがあります。 だから、常に正しいと思われていることにも、本当に? と、疑う目も必要ですよね。
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イラクの人質事件。 私はフランスにいたので、詳しい日本の世論はネットでちらりと見ただけで、よくわかっていません。 でも『自己責任』という言葉が流行るほど、糾弾騒ぎがあったようですね。 フランス人には、なぜ、彼らが褒められることはあっても責められるのかがわからない、という意見が多かったようです。(ニュースで言っていたことで、私が聞いたわけではありませんが。フランス語わからん) たぶん、ネットがなくてテレビが彼らを庇護するような報道をしていたら、そうはならないのではないかなぁ? などと想像していました。 正直、私も無関心・薄情な性格から「あんたたち、人騒がせだよなぁ?」程度には思ったかもしれませんが、無事帰ってきたのだからよかった! と思うと思います。 ところが、どこかで「自己責任」という正当性のありそうな言葉と共に批判的な意見が蔓延してしまったために、予想以上に非難される羽目に陥ったのではないか? と思います。
回転ドア事故。 あの事故があってすぐにフランスに行ったのですが、道は石畳で転びやすいし、メトロは動いたままドアが開くし。事故になりそうなところはたくさんあります。 中でも、ルーブルにできた観覧車には驚いた。 ぐるぐる回るし揺れるのに、柵は簡素で子供が簡単にすべり落ちれるようなつくりです。 ところが、フランスの子供って大人しいというか、しつけが厳しいというか、一人前の人間扱いされていないせいもあるのか、親のいうことは絶対らしく、大人しく座ったままなんですよ。 日本の子供ならば騒いで落っこちて、あげくのはてに親が業者を訴えるってことになるのでしょうが。
正直いいまして、回転ドアの事故は業者が悪いのは当然なのですが、親が注意していれば防げた可能性がある事故だと思うのです。 危険なドアは、危険なイラクと同様。 あえて言えば、危険度の認識の違い……というものもあるでしょうが、エスカレーターや回転ドア、車道が子供にとって危険なことは当然のことです。 昔は、日本も子供の立場は弱かった。というか、半人前と認められているから、親が必死で事故にあわぬようしつけていたと思うのです。 危険なものに近寄ったりすると怒られたし、ストーブの前では悪ふざけしただけで怒鳴られたものです。 子供には危険の認識ができないとしても、大人である親にはできたはず。 上記のイラクの事件で『自己責任』ということで人質になった人を責める人は、きっと「子供が悪い、親の責任」という意見ではなかったかと思います。 ところがそうではないらしい。これが不思議。 もちろん、私は親を責める気はなく、気の毒な事件だったと思っています。 でも、同時にイラクで人質になった人たちも責める気にはなれず、気の毒であり、無事帰ってきてからもますます気の毒だったなぁ……と感じるのです。
賛同の意見というのは、不思議なことに、9:1を10:1や20:−10にしてしまう力があるようです。 自由な意見は大事ですけれど、よーく考えよう……て思うこのごろなのです。
*** 日本に帰ってきてみたら、とあるネットでの問題が決着を見ていたようでした。 ネットで生じる問題も、いじめ心理なのか、多数意見同調心理なのか、結局は両者にいいことは何もないですね。
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