| 2004年08月15日(日) |
【執筆ネタ】現代物一人称は二度と書かない |
私は、やっぱりファンタジー書きかなぁ……と、思います。 現代物は苦手です。
自分の書きたいテーマが、どうしてもファンタジーでは書ききれない場合、現代物一人称を使って書くことが多いのですが、どうも弊害も多い気がしてなりません。 むやみに、自分や人を傷つけてしまう危険を、つくづく感じてしまいます。
たとえば……。 【エーデムリング物語】などは、逃れることの出来ない血の運命……みたいなのが根底にあります。 でも、これを現代物一人称でやってしまうと、恐ろしい事態になりそうです。 「僕は白色人種で平和主義、でも、彼は砂漠に住む野蛮人で、目の色が怖い」 なんて絶対に出来ません。(^−^; 私は人種差別者になってしまいます。 ファンタジーは、きれいごとで非現実的なことを書ける……という利点がありますが、逆に現代に反映させてしまうと、非社会的で反体制的なことでさえ、当たり前に表現できる、いわば汚いことを汚いまま、率直に描ける世界でもあると思います。
【折鶴は飛んだのか?】や【信じて神様・疑って悪魔】のような作品は、テーマがファンタジーでは書ききれない作品で、自分としては一人称を選んだことが、とても成功している作品だと思います。 非常に書きやすかった……けれど、やはり弊害を感じるんですよね。 ひとつは【私=私】と思われてしまうこと。 【登場人物=もしかして誰かそのような人が?】と、思われること。 舞台を自分の身近に設定すればするほど、余計にその危険があるわけで、あうぅ……知らない土地を舞台にすればよかった……などと後悔してしまいます。つい、この風景を取り入れたい……などと、思ってしまうからいけないんだ。
もうひとつは、ダークな内面を書くのが怖くなったこと。 「障害者や非行に走る子供を持つ親にたいして、あまりにも思いやりがないのではありませんか? そこは書きなおしたほうがいいです」 などと、ご意見をいただいたりすると、うーん……そんなつもりではないのだけれど、そう感じる人もいるんだ……などと。 アップしてから少し手直しはしたものの、やはり書きなおせなかった。 人を呪うのに、きれいな言葉で常識的なことを書いていたのでは、やはり語りつくせないし、逸脱しているからこそ、効果的だと思ったので。 でも、やはり人を傷つける可能性がある……ということは、とても怖いことだなぁ……と、感じてしまいました。 で、いったん一年ほどその作品を下げちゃいました。
リアリティを求めて現代物一人称を使っているのに、反比例して怖くなるんですよね。 人間の本性に迫ろうとすればするほど、どんどん不安が募ってくる。 現代物を書き続ける人は、すごい強い人だなぁ……と思います。 私は、もう挫けて現代物は書きません。書いたとしても三人称で行こう。 【信じて神様・疑って悪魔】が完結して、つくづくしみじみ感じております。 ……きっと、とある立場に追い込まれてしまっている人を、傷つける可能性がある作品だと思います。 でも、一人称のわがままはわがままで、多くの人に読んでもらいたい作品でもあることには、間違いありません。 ここしばらく、熱を入れてこの作品に取り組んでいたため、鬱な気分になっていましたが、完結できてほっとしています。 ただ、もう二度とこのような作品、現代物一人称は書かないことにしようと、心に決めた次第です。
|