三崎綾+☆ 綾 姫 ☆の不定期日記

☆ 綾 姫 ☆

ママはゴミ箱に捨てられたんよ
2004年06月01日(火)
娘には2人の母親が居る。「かずちゃん」と「私」
私の事を「ママ」と呼び、かずちゃんの事を「お母さん」と呼ぶ。
そして、私もかずちゃんの事を「おかん」と呼ぶ。
たった2つしか、私とおかんの歳は離れていないのだけど。

おかん「あんたは何でそんなに京都に帰りたいんや?」
わたし「だって〜☆ちゃんとおかんがおったらそれで良いねんもん」
おかん「わたしゃあんたの母親じゃ無いで〜」
わたし「そやねんけどなぁ」
おかん「あんたは実家が無いで此処が実家のようなもんかなぁ」
わたし「そうかもしれんなぁ」

本当にそうかもしれん。安息の地であるべき実家は私にとっては地獄。
しかも母親は私の精神性疾患の原因の1つ。

昨日、娘に言われた。
娘「ママのお母さんは何処?」
私「お母さんは京都に居るやん。明後日逢いに行くよ」
娘「じゃなくて、ママを産んだお母さんは何処に居るの?」
。。。そう来ましたかぁ。。。
私「ママのお母さんは、ママが小さい時にママをゴミ箱に捨ててどっかに行ったんよ」
娘「ふーん。ママはゴミ箱から出て1人で頑張ったの?」
私「そうかなぁ。さっご飯にしようかなっ」
娘「はーい」

ゴミ箱に捨ててくれた方が良かった。
自分で子供を産んでみて、ますます母親が理解出来ないようになった。
痛い思いをして産んで、病気で弱かった私や妹を育てた。
自分が病気になって、娘が結婚して子供を産む時まで生きられないかもしれないと悟った時、
何を残してやれるのだろうと心から娘に謝った。産んだだけの母親になってしまったと。
私はどんな事をしてでも、娘が子供を産む時まで生きてやるんだ。
そう思いながら生きる事は当たり前の事でそれが責任だと思うし。
何よりも私がそうしたい・してやりたい。。。自分と同じ思いをさせたくない。

京都に帰るのも、このことが1つの理由なのだ。
この地で私にもしもの事があった時、残された者は大変な目をする。
京都だったらおかんが居てくれる。おかんの子供が居てくれる。
インスリンを打ち、日々弱って行く私を見て貰う事で、
おかんの子供達が娘を助けてくれたら。自然にその輪が出来たら。。。
おかんも私もそう望んで居る。「血」のつながりよりも大切な物がある。
おかんに言われた。
「あんたなぁ、京都に帰って来たら超元気になって何処が病人?ってなるわ」
私もそんな気がする。帰ると決めただけで元気になった私やから。


私を産んだ母親は、四国に住んで居る。
御願いだから私の目の前には絶対に出てこないで。
私の家庭を壊すような事はしないで。
子供が成長して行くとともに、母親に対する憎悪は増す。
母親が目の前に出てきたら、私は絶対に殺すよ。。。

娘にゴミ箱に捨てられたと言った事を後悔している。
死んだと言えば良かったなぁ。。。と。
生きていると思うだけで腹が立つ相手なんやから。







昔の場所に居た時に「始末」して置けば良かった。
あの人は母親じゃ無い。他人の方が良かった。。。