2006年03月27日(月)  「夏の庭」 湯本香樹実

オンライン書店ビーケーワン:夏の庭
久しぶりにいい話に出会えた。
読んでる場所が場所だけに(周りに人がいる)泣けなかったけど、
これが、独りっきり、しかも夜更けにひっそりとした読書時間だったりしたら…。
おそらく、泣いていただろう。
人がいるから、泣けなかった。

中学受験を控える3人の少年。
「人が死ぬってどんなもんだろう」、そんな疑問を持ったある日、今にも死にそうなおじいさんが居ることを耳にする。
彼らの最後の夏休みは、独りの老人を観察する日々に費やされた――

とっても懐かしい物語です。
読んでて、子供時代に戻りたくなる。
でも、大人になったからこそ、この感情を心地よく思うんだろうなぁ。
「人は死ぬ」「死ぬって何」「死んだらどうなる」そんなこと昔はよく考えたっけな。
下手に宗教の本とか読んだりしたから、いらん知識が付いている今日この頃。
そういう知識が付く前は、漠然と「死ぬのは怖い」と思っていた。
(今だって怖いけど、各宗教の死後の世界の違いを思うと、興味が湧く…変人?)
しかし、それを他人の死を持って体験しようとは思わなかった。
近所の今にも死にそうなじいさんを観察しようなんて努力はせんでも、体験できたから。
物心ついて、すでに葬式を経験したので。
母方の曾ばあちゃんが死んだとき、特に鮮明に覚えている。
だって、火葬中、覗かせてもらったから…。
私が死んだら、焼き場には持って行かず、土葬にしてくれ、と思った。

今回、その観察される側のじいさん、これが問題だった。
去年の夏、祖父が亡くなったのだが、その時の思いがわき上がった。
登場人物のおじいさんが、まるで、祖父が蘇ったかの様だった。
はげてる所も、よれよれのステテコをはいている所も、寝ころんでテレビばかり見ている所も。
うちのじいさん、そのままだった。

日々の生活に慣れてきて、薄れていたけど、祖父の遺体を見たとき、私は泣いた。
なんで泣いたのか。それは死に目に会えなかったから。
祖父の急遽を聞いたのは、仕事が終わって、妹からのメールを見たとき。
即座に帰ろうとしたが、飛行機も電車も全て終わっていた。
最後に頼ったのは予約制の夜行バス。
キャンセルがあれば乗れるかもしれない…その可能性にかけ、浜松町のバスターミナルへ急いだ。
運悪く、羽田発の最終便が悪天候のためキャンセルになっていて、その客足も夜行バスへ流れていた。
やばい、と思った私は、恥も何もかなぐり捨て「どうしても帰らなきゃならんのです、乗せて下さい」とカウンターのおじさんに懇願した。
その甲斐あってか、なんとか席を手に入れたが、バスに乗っても、全然「祖父が死んだ」という実感が湧かないし、変に興奮して寝付けもしなかった。

翌朝、家に着き、真っ先に仏壇の前に向かった。
祖母が弔いに着てた近所のおばちゃんと話していた。
2人の横には、布団に寝ている祖父が居た。
「ただいま」と一言「どうも」と近所のおばちゃんへのあいさつも付け加え、私は祖父の頭の横に座った。
祖母がよく帰ってきたね、といい、祖父の顔にかかっていた白い布を取り払う。
その顔は、安らかだった。
今まで病院暮らしだったので、たまの帰省で会いに行くと「しんどい」とばかり言って辛そうな顔だったのが、良い夢でも見ているかのように、安らかだった。
泣けた。
死に目に会えなかった、それが申し訳なかった。会ったところでなんにもならんだろうが、とにかく、申し訳なかった。
「ごめんね、間に合わなくてごめんね」と泣きながら祖父に話しかけた。(あ〜泣けてきた…)
そして、はげあがった頭に手を置いた。
ひんやりしていた。
手の体温が跳ね返されるというか、拒絶されたかのような冷たさだった。
人が死んだら、本当に冷たくなるんだなぁ。
祖父は180センチ超えの体格をしていたが、やけに小さくなったなぁと感じた。
ひたすら禿頭に手を乗せながらしんみりしていた私のそばには、いつの間にか妹が居た。
近所のおばちゃんは、そろそろお暇します、と帰っていった。
涙が止まらなかった。延々と泣いていた。
祖母は「間に合わなかったことは悪かない」と言っていた。
でも、私は悔しくてしょうがなかった。
もっと早く帰ってきて、生きているうちにもう一度、会っておけばよかった。
今思うと、あれは、祖父に対しての涙ではなく、自分に対しての後悔の涙だったんだろう。
事実、その後は一度も泣かなかった。
それどころか、お棺に入った祖父を囲んで親戚一同皆でキャッキャしながら、写真や遺品の整理をした。
若かりし頃の祖父の写真、太平洋戦争時の赤紙、大学時代のノート。祖父がマレー語を学んでいたなんて知らなかった。
しまいには、罰当たりめ、と叱られるかもしれんが、カメラの作動点検で仏壇の供物(確かスイカ)を掲げて従姉妹と写真を撮りまくった。

仏間は、大人になったくせして、今まで怖かった。
暗いとすぐに電気を付けるし、用事がないと何となく行きたくない。
それなのに、祖父の遺影が並んでから、怖くなくなった。
叔母も言っていた。
曾じいさんが死んだときは怖くてしょうがなかった、と。
叔母にとって、曾じいさんは畏怖すべき存在でしかなかったそうだ。
私は、いつも菊を作っているイメージしかない。
曾祖父は菊作りの名人で、その頃、家の横のビニールハウスにはアホほど菊の鉢があった。
秋になると、私の身長以上に伸び上がった細い茎の上に、アンバランスなほど堂々とした大輪が咲き誇っていた。
曾じいさん=菊の花、そんなイメージしか私にはなかった。
そりゃそうだ、小学校に上がる前に亡くなったから。
しかし、叔母にとっては思春期時代、敵対する存在だったそうだ。
果物ナイフを投げつけられたことがある、と語っていた。
そんな叔母も、今まで仏間は怖かったそうだ。
だが、祖父の遺影が並んだ今、変わったそうだ。

「だってオレたち、あの世に知り合いがいるんだ。それってすごく心強くないか!」

最後のシーンで、死んだおじいさんを思って、1人の少年が放つ言葉。
私にとってあの世の知り合いは祖父なのだ。
仏間に行くと、祖父の笑顔がそこにある。(祖母の選定で遺影は笑ってる写真になった)
もはや、仏間は恐怖の空間ではない。
祖父の遺影を見て、なんとなくこっちまでにんまりしてしまう、そんな空間と相成った。


脱線。
読書の感想ではなく、私の葬式体験になってしまったか…。
しかし、この作品、殿堂入り決定。
今は亡きじいちゃんに捧げる作品だなぁ。




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