2019年05月11日(土) |
○○を好きであると公言すること |
わたしは特撮が好きである。 そう公言してはばからないのだが、ドラマで特撮好きとカミングアウト するかいなかというような内容のことがあり、それは隠すことなのかと 若干ショックを受けたものだ。 なにしろ、その特撮好きのお陰で夫と付き合うきっかけになったのだか ら、ええっという気持ちだった。
友人の娘(息子と同学年)のライダー好きを、友人はなかなか受け容れ られないと言う。 なぜだかわからない。 女子だから、特撮好きではちょっと違うと思われているらしい。 「全然おかしくないよ。60近くでずっと特撮好きの主婦もいるよ。」 と言ったりするが、変わった趣味の人と思われるのは仕方ないのか。
多様性を認める世の中にしようと言われている昨今、趣味が女の子的だ とか男の子的だとかは、もう時代遅れとしか言えないのではないか。
我が家は、親子三人で録画して毎週ライダーを見る。 おもしろポイントを見逃さないためだ。 好きなアニメ類も似通っているので、録画して見たり、オンデマンドで 三人で見たりする。 しかし、鉄道番組は夫は全く興味がないので、わたしと息子で見る。
娘の趣味が理解できないと言うのは、見たことがないからであろう。 一緒に見てみて、娘がどういうところにわくわくするのか、共感はでき なくても発見があると思う。 つまり、情報として娘の趣味を理解するということだ。 同じものを好きになる必要はないが、他者がそれを好きであるというこ とを受け容れる必要はあるだろう。
好きなものを好きと言って受け容れられる場所。 その第一段階が本当は家庭であって欲しい。
昔詠んだ歌を。 「〈迫る〉といえばショッカーだよな」 君といるしあわせなどをふと思う時
|