鶴は千年、生活下手

2011年02月16日(水) 晴天

毎日それなりの品質の歌をつくるのは、ほんとに大変だと思った。
以前は毎日日記を更新していて、毎日のように短歌をつけていた
が、それはいい歌かどうかとかまったく考えていなかったし、そ
れはいまでもあまり変わらない。

しかし、それがちゃんとした企画のもとで歌人がやることととな
ると、それはもう大変な作業なのだと思う。
東直子さんの「十階」を読んでいるが、一年間毎日綴られた歌の
数々が、その大変さを物語っているように思う。
(2007年の一年間の日記短歌である。)
東直子らしさを維持しているのか、では何が東直子らしさなのか。
いっときはそんなことも考えてみたが、読んでいるうちにそんな
ことはどうでもいいのだと思った。
わたしが日記の最後に締めの言葉のように短歌をつけるように、
品質はだいぶ違うけれども、そのときに思ったことをそのときに
思い浮かんだ言葉で歌にする。
ただ、それだけなのだと思った。
それは批評したりされたりするたぐいのものではないような気が
する。
人目にさらす以上、誰かが批評するのだろうし、技巧的な批判も
あるのだろうが、それはそれとして、わたしにはその日に実際に
感じたことを言葉にして残していくことにこそ意味があるのだと
思える。
振り返ってみるときに、歌に綴られた言葉によってそのときの自
分の感情や状況が思い起こされればそれでいいのだと思う。

わたしがこうして今年に入ってまた日記の更新と短歌をつけるこ
とを復活させたのも、いろんなことをちゃんと考えて言葉にした
いと思ったのと、のちのち振り返るときのためにと思ったから。

 しぼりだすように言葉を紡ぐとき繭よりいでよ白きひとひら(市屋千鶴)


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市屋千鶴 [MAIL]