鶴は千年、生活下手

2003年04月22日(火) 失った時に

先ほど、会社に顔を出した時、新しい事務員さんの面接をしてい
るところだった。若くてきれいな人らしい。(うふふ)
他の事務員さんも、新しい事務員さんには興味津々なのだ。

2時間ばかり、請求書を作ったり、webから指示書を印刷した
り、入力されたデータを眺めたりして帰ってきた。
ちょうど一週間経ったわけだが、なんとかできているみたいだ。
週に1回くらいずつ顔を出せば、大丈夫なようだし、そのうちに
新しい事務員さんが、いろいろと覚えてくれるさ。(笑)
あとは、お別れ会をしてくれると言うので、夫が広島に行ってか
らならいつでもOKだと言ってきた。たぶん火曜日だとは思うが。

こうして見ると、夫を送り出したからやろうと思っていることの
なんと多いことか。そんなんでいいのだろうか。(笑)
とりあえず、今度の日曜には多摩方面へ行くことになっているか
ら、土曜日にでも夫の買い物をしなくては。
夫のものの片づけは、ある程度まとめておいてくれれば、あとは
わたしが段ボールにつめるだけだから、せっせとつめようぞっ!

ところで、昨日の「こちら本池上署」を見ていて思ったこと。
引きこもり気味だったおばあちゃんが孫が食べたいと言うケーキ
を買いに出たところ、ひったくりにあって腰の骨を折ってしまう。
孫は、自分がケーキを食べたいと言ったために、おばあちゃんが
けがをしてしまったと思い、ベッドに寝ているおばあちゃんに、
何度も謝っているのだった。
それから、女性刑事さんが、お主人を亡くした日、前日にけんか
をしてしまって、いつもなら必ず言っている「気をつけてね。」
という言葉をかけなかったことを、悔やんでしまうという話。
署長本人も、子供の頃父親を亡くした時に、自分が悪い子だから
父親が死んでしまったのではないかと自分を責めたことを話した。

身内を亡くした時、身内に何か不幸が起きた時、自分がこうして
いればそうはならなかったかもしれないという意識を持つことが
あるのは、わたしも実感としてわかる。

父方の祖母と祖父が亡くなった時には、自分達が生家を出てきた
からだと思った。なぜか、父のせいだとは思わなかった。
母が倒れた時にも、わたしは自分のせいではないかと思った。
母が倒れたその夜の前日に、父が上京していた。
夜遅くまで話し込んでいたということを聞いた時に、わたしがそ
の日、仕事で姉の家に行けなかったから、父は母と話し込んでし
まったに違いないと思った。
わたしが父に会いに行っていれば、母を早く寝かせることができ、
その翌日の夜中に脳出血を起こしたりはしなかったのではないか。
ずっと、そう思っていた。
姉だって、疲れているからと、一人で寝かせたことを悔やんでい
たかもしれない。発見が早かったなら、もしやと。

大事な人を失うということは、そういうことなんだね。
なぜだか、だれしも自分になにか責任が有ったのかもしれないと
思ってしまったりするのだ。
そうではないと、自分を納得させることができるようになるには、
身内同士で心の痛みを分かち合うことが必要なのかもしれない。
そういう身内がいない時には、とにかくつじつまが合っていよう
がいまいが、ただじっと話を聞いてくれる人が必要なんだと思う。
誰かに話して、そうじゃないんだと、はっきりと否定して欲しい
のだと思う。
失った痛みは、なかなか癒えないものだから、人の助けを借りた
ってぜんぜん恥ずかしいことでもなんでもないのだよね。

 痛いって気付くことさえなくなって人も己も闇も見えない(市屋千鶴)


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市屋千鶴 [MAIL]